サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report(おすすめch紹介)

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賑わっていた集落が、足尾銅山閉山後ほとんど無人化、人がいなくなる、長屋群も廃虚化へ

賑わっていた集落が、足尾銅山閉山後ほとんど無人化、人がいなくなる、長屋群も廃虚化へ  (c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report

(c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report 足尾銅山で働いていた人々の社宅群が今回のテーマ。 今から約100年前1905年(明治38年)3月に会社としての古河鉱業の経営となる。

とても懐かしいです。40年ほど前に祖母の家が足尾の長屋で休みになると親に連れられ足尾線に乗り遊びに来ていました。トイレは外に共同の汲み取り式トイレがあり子供な為(今の年になってもかな)夜は怖くてトイレに行けず親に一緒に来てもらうか、長屋の前で壁におしっこをしていた記憶があります。お風呂も共同の銭湯が長屋の中にあり(建物がみんな同じなのでよく迷子になりました。)みんなでお風呂に入った記憶があります。買い物も長屋の中に生協があるのですが、週に一度くらいしか入荷がなくすごくものが少なかった思い出があります。足尾の商店街(銅山観光の方)には喫茶店や食堂などもありあの辺りはその当時は栄えて少し今風の感じだった記憶があります。その当時ももう銅山は閉山していましたが、まだたくさんの人がいてそこそこの賑わいがあった記憶があります。今この風景を見ると涙が出そうになる。もうかかわりのある町ではなくなってしまいましたがたまには行ってみようかな。

余計なBGM等が無いのが落ちついて見ることが出来ます。事故、怪我には気をつけて続けてください。

私が生まれ育った、九州は宮崎の槙峰鉱山も50年以上も前に閉山と成りましたが、私が住んでいた「緑台」と言う地区は今では綺麗なお茶畑に成っております。朽ち果てて逝く長屋を見るよりも、余程感慨深いものがあります。今では関東に住み、R122を通って日光へ行く時折に、フッと頭をよぎることが有りますが未だに立ち寄る事が出来ません。

この時代を超えた静かな空間は壊してしまうのは惜しい気もします。軍艦島のように史跡として残せないかなあ

銅山最盛期の頃に足尾町の人口は大凡38,000人で銅の産出量は全国一位を誇っていました。

主要産業が無くなれば、その町は当然活気が失われます。炭鉱が無くなった夕張とよく似ています。始まりがあればいつかは終わる。それをまさに物語った足尾銅山です。銅山跡を観光地化したり、足尾線を転換したわたらせ渓谷鐵道ではトロッコ列車を運行して奮闘はしているんですよね。

足尾町は、かつては宇都宮市に次ぐ人口だったと聞いています。街並みを見ると時間が止まったような気がして、もうその頃には戻れないんでしょうね。

長屋と言っても、中の造りは立派ですね。如何に景気が良かったのか感じられます。アルミサッシ、それも着色処理の時代まで使われていたようですね。確か昭和50年代でしたか、アルマイトの銀色以外が作られるようになったのは…

活気があったんでしょうね。ほとんどの方が引っ越しされたんでしょうがこの動画を見たら懐かしさがこみ上げてくるでしょうね。

ほんとに貴重な映像だと思います。

夫の祖父が古河鉱業に勤めていたらしく、冬に義父達を連れて足尾へ行きました。幼少期をこの辺りで過ごしていた義父は懐かしがっていました。

現在では使われていなくても、家の外壁は補修がしてあります夏場はスズメバチがいますので危険です

こんばんはです。こんな風景観て、当時は、活気がみなぎっていて、子供たちの声、お年寄りの井戸端会議、お母さんたちが、朝昼夕の食事作り、ご主人たちの「ただいま」の声が、浮かびますね。百々のつまりには、必然的に空き家、廃墟の結末になってしまって、むなしさと寂しさがありますね。足尾探索、お疲れ様でした。

主要産業が無くなった町の成れの果て。この国の基幹産業である自動車産業の先行きが暗い今、足尾は日本の将来の縮図に見えなくもない。観光で復興ではなく、新しい産業で競争力をつけなくてはいずれ何もなくなってしまう。

何か淋しいね。都会に対して地方の良さはまた捨てがたいんですけどね。この地域も銅山があった時は大人・子供関わらずすごく賑やかで繁栄していたと思いますね。今見ると、兵どもが夢の跡…..かな。しかし….ごく少数住人がまだいるのでしょうか?

初コメです。かつては賑わっていたのでしょうね。足尾銅山ゆっくり時間をとって行ってみたいですけど

当時としてはかなりシッカリした作りで、裕福だったんですね。

懐かしい。40年ちょっと前のむかーし、父が警察官として足尾署に。幼いながら長屋が並んでいて。閉山後でも、沢山、人が住んでいた記憶があります。犬を飼ってるお兄さんがいて。子どもたちが沢山いて。犬を触って可愛がり遊んだ記憶あり。その光景を今も覚えています。私は、その犬に噛まれて犬が大嫌いになりました😅足尾のお祭りも参加したり。この長屋だったのか?父の背中に背負われて、さむーい雪の中、火の用心!カチカチって拍子木を打ちながら火の用心で回った記憶も。なぜか、私を背負って😅父は、一昨年、亡くなり。なんだか、懐かしく、父を思いだし、ウルウル😢むかーしの足尾は、人が沢山いました。子どもも沢山いました。足尾駅のオレンジの電車に乗り、宇都宮市の警察学校だったのか?東京だったのか?父を見送って、大泣きしたのを覚えています。駅にも沢山、人がいたような。賑わっていたのが嘘のような廃墟ですね。年を重ねてから、足尾銅山や足尾駅には、行きました。懐かしい動画ありがとうございます😭

8割以上住んでないゴースト集落に ぽつんと住んで居る 残っている人たちは寂しくないのかなぁ 雰囲気的に

雑草もなく意外とこ綺麗ですネ。

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廃墟化した栃木県足尾銅山 今も残る社宅群 日光市足尾地区銅山閉山

廃墟化した栃木県足尾銅山 今も残る社宅群 日光市足尾地区銅山閉山  (c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report

(c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report 足尾の歴史の中で、この銅山を発見から閉山までの長い年月の温もりが建物ににじみ出ています。その部分を皆さんに見てもらいたいと …

こんにちはです。足尾銅山、凄いところでしょう。我が県ながら、そこに行く道すがら、まるでいろは坂みたいな道路を通って行きの、ちょっとした観光見学でしたね。まだ子供が、小学校の頃でした。でも足尾は、一度は行ってみたいところですね。色々な学びの為にも。車載動画さん、探索、見学、お疲れ様でした。我が県に来られて、ありがとうございました。

400年の歴史がある栃木県足尾銅山。かつてはとても賑わいのある時期もあった。

この動画を見てると「足尾地区には人っ子1人住んでいない、足尾銅山を管理していた企業は無くなった」という印象を受けますが、そんな事は無いですね😓わたらせ渓谷鐵道の通洞駅周辺には「足尾銅山を後世に伝える為の施設」があるし、足尾地区の中心地として人も住んでますよ。原向駅〜通洞駅〜足尾駅を車窓から見れば分かります。終点の間藤駅前には足尾銅山を管理していた「古河系の企業が今でもある」し、廃駅となった足尾本山駅は「今でも足尾銅山の採掘を行っていた会社のサイロ」が残っています。採掘は行っていませんが、銅山の管理と銅の精製で出た物の管理などを行っている筈です。

足尾銅山って一回行ってみたいけど行くのが大変ですよね?この廃墟っぽさがノスタルジーを感じて行きたくなりました。

本日現地で動画のほぼ全てを拝見させて頂きました。行くまでは半信半疑でしたが有りのままの光景に懐かしさを感じました。(昭和の生まれです。住んでた人は昭和以前かも知れませんが共同便所がたまらなく懐かしさを感じた次第です。

夕張市に似てるものがありますよね。かつては栄えていたけど、銅山がなくなって、かつての賑わいをなくしてしまう。もう以前の町には戻らないのかと思うと、寂しいものがありますね。

もやがかった曇り空と、廃墟って合いますね😄

とても興味深く拝見させていただきました。ありがとうございます。

撮影お疲れです‼️足尾銅山は、隣町なので、良くバイクでも行来ます🎵5月には、ちょっとした祭りもあり、銅山観光の、前に食堂が…あります。いい所ですよ🎵

廃屋ってやっぱり美しい❗自分も大好きなんで早速登録させて頂きました😃ここも知ってはいたけどまだそこそこ人はいますしね😃足尾銅山観光もあっていいところです笑

毎回 興味深く 拝聴させてもらっております。さりげなく 通り過ぎてゆく 時の隙間に 心を奪われる思いであります…今後の ご活動をも 応援させて頂きます 感謝。   車寅次郎 拝

神岡鉱山跡のニュートリノ観測所カミオカンデのような利用方法はないのでしょうか。広大な地下空間がもったいないです。

社宅群は建物は古いけれど、花を植えている家があったり、草ボーボーではないので管理はされているような

この長屋、確か今も家賃は1か月3千円か5千円だったと思う。ただし、トイレも風呂もないけど。近くに浴場も無いんじゃないかな。

そうか日本はこれから廃墟だらけの国になるんだな、と妙に納得しました。生産力は低下して若手人口は激減して、、。仮想空間は混み合ってるけど、ふと見わたせば廃墟のなか、というウソのような未来がほんとうに来るのかな、。

足尾銅山は独特ですね。私が行った時は、墟長屋の屋根の上を、野生の猿が行き来していました。

全然関係ないけれど森高千里さんの渡良瀬橋という曲はイメージで足尾銅山のちょっと下流の小川にかかっている橋のイメージでいたのですが実際行ってみたらかなり下流の足利市だったのですね。先日足尾銅山と足利市両方行ってきたので渡良瀬橋聞いた時の脳内の映像を広い河川敷に更新しました!

夜、(渋滞)高速から降りてグンマーに向かったときめちゃ怖かったです。

音のしていた通洞の施設は現役の施設ですね。

ありがとうございます❗いつか行きたい❗

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廃村探索【過疎化が急速に進行 消滅集落K】ゴーストタウン ダム湖周辺に点在する無人部落

廃村探索【過疎化が急速に進行 消滅集落K】ゴーストタウン ダム湖周辺に点在する無人部落  (c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report

(c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report 今回も埼玉県ダム湖周辺のK集落に来ています。前回(無人集落 廃村探索)は雨天時の撮影でしたが今回は雨は降っていません。よかった …

初見です!自分も廃墟の方はちょこちょこ行くのですが、廃墟がその年代で歴史が止まっているのって凄くいいですよね。今後の社会問題でもあるのかもしれませんが、こういう動画のおかげで現状なども知れて助かります。登録させて頂きました!

今回は前回と違い内部も暗く荒れ方もかなり酷いため完全に無人化された廃屋の印象を受けました。檜風呂の家、そしてビール・サイダーの瓶やケース、下駄のサンダル等、昭和の懐かしい物がたくさん散乱されてます。急斜面な獣道しか無いような村ですから食糧等も配達に来る商売人が往来していたのでしょうか。住人が下山して買い出しに行くのも一苦労そうです。自給自足するにしても土地が肥よくでなければ無理でしょうし。昔の人々は本当に凄いっ‼️としか思えません。棒か何かに巻き付けられた赤布は何かの目印⁉️なんでしょうかね。

こんばんは~時代の流れで集落を離れた人達は今どんな生活してるのか…住み馴れた家、隣り合う家々の人達との別れ😭哀しいのは私だけか?家の中はきっと昭和の生活がうかがえるものが溢れてるでしょうね🏞️お疲れさまです👍

いつも廃墟ファンの為に動画アップありがとうございます。他の方のコメントにもありましたが、家具や電化製品や日用品を置き去りにして出ていかなくちゃいけない理由はなんだろう?と気になりますね。

山村さん、こんばんはです。なんかお久しぶりですね。消滅集落廃村、観ていて虚しさと悲しさが込みかげてきますね。どこもウェルカム状態でここも、後5.60年後は、無惨な瓦礫山になってしまっているに違いないですね。まるで人間の一生を観ている様ですね。周りの景色は木々が多めの、圧迫感が有る光景。そんな中、映像が凄く綺麗で臨場感が有りますね。良い感じです👍遠くの風景が観えないですね。廃墟探索、お疲れ様です。良い映像、ありがとうございます。

初見です。物色したり強引に入ることがないので安心できました。私も10人(のうち9人が既に50代以上)集落の出身なのでいつかは実家もこうなってしまうんだと思うと寂しく感じました。隣の集落はラスト1人でたまに廃集落かと間違われ廃村巡りの人によく逢います笑クマにはくれぐれも気をつけてください。撃退スプレーをおすすめします。

かなり急な斜面の所に家が建ってたんですね😲足元に要注意ですよ⚠️😦

林業も輸入材によって価格が安くなってしまった為か、山から降りて山の面倒を見る人も居なくなってしまいましたね。国内のハイテク産業も、一次、二次産業も全てダメになって、これからどうなるんですかね。

どこの家も玄関や雨戸が全開であいてて不思議ですね〜こんな狭くて急な道を洗濯機とか持ち上げてたの凄いですね

いくら廃墟だからって不法侵入しないところに好感を持てました。

高度成長期以降の社会変革で山村での生活が困難になったことがこういう廃墟を生んでるよね。80年代までは老人がまだ住んでいたような感じですね。

山村さんこんばんは、お疲れ様でした。🙇‍♀️どの家々も物が散乱していて凄かったですね。しかも玄関の扉がどれも開いていてなんとも不気味🥶中から何も出て来なくて良かったです❗️あの鈴は、熊よけですか❗️山村さん、いつもひとりであんな場所へ行って凄いですね、何がおこるかわからないのに勇気がいると思います、これからも気をつけて行ってくださいね。🙂💕

どの家も戸が開け放たれている理由って、やっぱり物盗りに入られたからでしょうか? 物品が散乱して、床が抜けていますし…、土足でズカズカ入られて漁られちゃったのかなぁ…って悲しくなりました。――とても興味深い動画でした! クマ🐻やイノシシ🐗、蛇やハチなど、山奥は危険がいっぱいです、怪我などされませんようにお気をつけて!!

前から思っていましたが、山村さんの動画は、家の中を歩き回らないのが良いですね。某、アップ者は、請求書や督促状を見たり、探ったり・・なので嫌になり見ない事にしました。モザイクを掛けていますが、アップ者が見ているので、不快でした。山奥の廃墟なので崩壊には、くれぐれも注意して下さい。そんな所で崩壊して下敷きになったら、助けも来ませんから・・。登録させて頂きます。次回も期待しています。

こちらの集落の建物は震災時に全壊してしまいましたが夫の実家の家(増築部分)の雰囲気に似ています。夫の実家は築120年の茅葺き屋根の家に台所とトイレとお風呂が増築されていました。増築部もおそらく築50年くらいかと。その増築部に造りが似ているので同じ年代の建物なのかな~と思いコメしてしまいました。

いつも動画を拝見させてもらっています。私は廃墟に興味がありますが、怖くて離れた場所から見るだけです。そのため、山村さんの動画は非常に凄いので、楽しませてもらっています。いつもお一人での撮影なのでしょうか?怪我等、何事も無く無事で過ごされますよう、また、霊に取り憑かれることが無い様、祈ります。これからも、興味湧き立つ動画を期待しています。

純粋に儚さを感じる廃墟を見たいので、無音か穏やかな曲がいいです

山村さーん!音楽めっちゃ怖いです😆今回は本当に不気味でした😱 熊よけの鈴持参ですか??とにかく無事に帰れてよかったです😌撮影ありがとうございました✨

おそらく道が悪く自動車等の交通手段が使えなかったのかもしれません。貴重品等に限定したのでしょうね。

シッカリした無住の家も他と同じで朽ち果てるのを待つのかぁ。月光荘って本を4冊目ですが、不思議な声を聞ける人の物語ですが家の声が聞こえるなら、残された家たちはどんな事を話してるのかな?って思いますね!廃墟ホテル旅館もね

廃屋と古民家が並ぶ集落 【群馬県川場村立秋の風景】GunmaPrefecture Kawaba Village Autumn landscape

廃屋と古民家が並ぶ集落 【群馬県川場村立秋の風景】GunmaPrefecture Kawaba Village Autumn landscape  (c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report

(c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report 群馬県利根郡川場村に行って来ました。廃屋と古民家が並ぶ立秋の風景をご覧下さい。 【沿革】 ・1889年4月1日 町村制施行に伴い利根郡 …

川場村は風光明媚でとても良いところです。村内にはいくつもの美しい川があり良質な水で作るお米と地酒は最高です。是非一度訪れてみてください。川場村の素晴らしさを感じて頂けると嬉しいです。

地元の名誉のために言っとくけど、同じ村内に酒蔵が2軒、お蕎麦屋さん、リーズナブルなお宿から高級なお宿、北関東で1番と言われる道の駅。水や自然が綺麗な田舎です。都会の喧騒に疲れたらぜひ行ってみて。熊があちこち出没するから気をつけてね。

高度成長期に車が普及し高速道路が整備され、本来なら東京と地方の物流が盛んになって閉ざされた地方が栄えるはずでした。でもそれで簡単に東京に行けるようになると若者たちはこぞって地方を離れてしまった。この村に「旧・川場尋常高等小学校」が郷土資料館として残されています。木造の立派な建物です。私はこういう木造校舎が当たり前の時代、関東の某都市から東京に憧れて出て行った若者だった60代です。この映像にある様な家並みや道路にもかつては大勢が行きかい子供たちが遊んでいた賑わいがあったことをよく覚えています。わが故郷も寂れており、川場村と重ねてみると、懐かしくも悲しい思いで胸が熱くなります。

川場村にこんな素敵なところがあっただなんて!ぜひ歩いた道を教えて欲しいです。

渡会の方は田舎暮らしにあこがれますけど田舎暮らしは年取ったらきついです。私も広い家や土地よりも商店があって駅やバス停や医者のあるところに越したいです。

いつも丁寧なわかりやすい画像見ています。楽しみにしてます。

The video is clear .What camera model do you use?

人の姿が見えないという事が、こんなにもわびしいとは。

昔人が集まった時に迚も美しい処でしたと思ひます。

終盤、突然アップになる静止画像がなんか意味ありげで不気味でコワイです((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

今住んでる東京近郊の大きな市内でも、廃屋が増えてる。人が住んでても年寄りが多い。子供の声も、段々と聞こえなく成っている。人口減少を、ひしひしと感じます。

貴重な情報ありがとうございます。見てて思うのですが、生活に必要な行政サービスがなくなると、家があっても生きられないという現状を見ている気がします。だとすればやることは簡単で、昔の日本と同じ形で生きられる、生活形態に戻すことですね。そうすれば、これら行政サービスがなくなっても、生活していくことができるようになります。これらについては、一度やってみようとおもっているです。昔の日本の生活様式に戻る。とはいえ、電気、水、畑、田んぼ、森、必要でしょうね。電気は自分でなんとかするとして、その他の環境が整っている場所を探しています。

Wow

非常好👍!转动镜头慢一点!

いまや都会の近郊公団地でも同じだよ。土地区画の一割以上が空き地か空き家。世帯主の平均年齢が70を超えてしまってる。この動画の様になるに10年もあれば足りるかな。町内会という組織が機能停止しようとしてる。

関越交通。

廃墟探訪 雪に覆われた高原Hホテル 発哺温泉 志賀高原に佇む老舗廃墟ホテル

廃墟探訪 雪に覆われた高原Hホテル 発哺温泉 志賀高原に佇む老舗廃墟ホテル  (c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report

(c) サラリーマン山村廃墟探訪記:Yamamura Ruins Exploration Report ご視聴ありがとうございます。 今回は長野県志賀高原にある発哺温泉(ホッポオンセン)に来ています。 標高1600mの高原にあり長野 …

うわ~懐かしい!!80~90年代にかけて何十回通ったことか・・雪のせい?で当時とあまり変わった感じがしないですね。映像を上げて頂き、ありがとうございました!

まだ十分修復可能に見えるから何とか立地活かして再建して欲しい。志賀は雪質がいいからシニア世代にもうけそう。

現役と非現役が交わる感じがいい。冬の空気が澄んで最高の景色、だが廃墟としては初夏のゲレンデ繁忙期が過ぎ寂しさに満ち溢れてる旅館を次回訪れた際に希望します!

廃ホテルの上に稼働しているロープウェイ全国的に珍しい廃墟ですね、本当に有能なコンサルタントと共に再構築をするともしかしたら甦るかもしれませんね。

バブル景気に湧いた30年程前に、職場仲間とスキーに行きました。泊まったホテルは違いましたが、Hホテルは大変賑わっていました。スキー帰りにホテル前を通りかかると、猿の群れが電線にぶら下がっていました。懐かしい!当時の志賀高原は、スキー客であふれかえっていました。

最近、志賀高原に出かけ、Hホテルを間近で見ました。多少傷んでいますが、今にもたくさんの方が出て来る錯覚にとらわれました。美しい!こんなにも感動する廃墟はありません。

老舗旅館…長野オリンピックで繁栄しながも食中毒で閉館とは女将や若女将さん無念でしょう。また雪が寂しく積もりますね。お疲れさまでした🏔️

志賀高原は、スキーヤーには、欠かせない場所です。なんとか再開してほしいです。

山村さん、こんにちはです。高原ホテル周辺の光景、一面銀世界が、感じてホテルの裏側の小山の茶色木々と雪の色と、相まって綺麗ですね。それに、ホテルを背に観る空&山並みの広大なロケーションが美しく素晴らしいですね。山村さんには、いつも、良いもの(映像)を観せていただき感謝、感謝です。遠征探索、お疲れ様です。あっ!!そちらは、昨夜の地震は、どうでしたか??何か被害は・・・あったのでしょうか?

最近、スキーは岐阜方面ばかりで、こんなことになっているとは、知りませんでした本当に、懐かしい貴重な映像ありがとうございました😉

山村さん、遠い所までお疲れ様です。天狗の湯、懐かしいです。ここは仕事で学生のスキー教室でよく行きました。確か閉鎖の原因はやはり高校生のスキー教室でノロウイルスかなんかで大規模な食中毒をだしたんでしたっけ?お風呂がとても大きくて良い湯でした。撮影には車で移動されてるのでしょうかね。足元お気を付けて。雪景色きれいでした。

サラリーマン山村さん、こんにちは~😆💕✨空の青と雪の白のコントラストが綺麗過ぎます😊空気が澄んでいるので画面越しでもピーンと針積めた静寂の中の鼓動が聞こえて来る感じが圧巻です。まさに絶景✨この絶景を12年も静かに眺めている廃墟は一人静かに朽ちるのを待っているのだろうな~っと思うと…。食中毒が廃業の原因とのこと…。残念ですヽ(;´ω`)ノまだ、温泉も沸いてるのに…。春夏秋冬で、この廃墟見たいと思いました~🙌今回も素敵な動画をありがとうございました~☺️

後半写ってるIホテルで30年ぐらい前の学生の頃アルバイトしてまして、非常に懐かしかったです。上にあった巨大ホテルの存在は覚えています。

私が小さい頃はとても賑わっているスキー場でした。秋はロープウェイに乗って紅葉を見て、冬は映像に映っているゴンドラリフトで他のゲレンデに移動して滑ってました。1番ネックだったのは当時はリフト会社がいくつかあり、1つのチケットでは滑れないゲレンデがあったので面倒臭いなーと思っていました笑私がゴンドラリフトに乗ってた頃、ここの温泉はとても繁盛していた気がします。まさかホームゲレンデの志賀高原に廃墟があるなんて驚いてしまいましたがこうして徐々に雪の中に取り残されていく建物が多くなっていくのかと思うととても淋しく思います

奥志賀から横手山まで延々続く一大スキーリゾートも、スキー人口減少、少子高齢、デフレ不景気長期化には勝てなかったと思うと何とも残念堤義明が80年代初頭の焼額開発にあたり、反対する一ノ瀬や湯田中の古い旅館衆を説得する為に約束したのがオリンピックの誘致だったそうだが、結果的にあれが最後の宴だったのだと思う

経済状況の悪化とスキー人口の急減によるスキーリゾートの破綻が相次いでおりますが、ここもその一つなんですね。食中毒事故発生自体、安全性に注意を払う余裕が無くなった結果なのかも知れません。志賀高原自体はまだ頑張っておるようで、白い風景の中で稼働中の部分とのコントラストが鮮やかですね。盛者必衰の理とはいいますが、本当に節制ある開発というのが大事だったのでしょう。この一年強は世界中で経済状況が悪化しておりますが、これ以上廃墟が生まれるのは勘弁被りますね。。。。

ロープウェイとシングルリフトもなくなって、スキー場に出づらくなっちゃってましたよね。

腐敗した政治の犠牲で老舗旅館が無くなったんでしょうね…またいつの日か観光客で賑わう日は来るのでしょうか?

ここのホテルの元社長、二年ほど前にとある会合に出席してたようです身なりはそこそこ良かったので不自由はしてなさそうですとはいえ、女将と若女将はどうしてるのか…あと歴史的?な資料が眠ってるようで何とか保存とかできないものか…

バブル期によく通いました。懐石料理が美味しかった。小澤征爾氏にも会いました。星野リゾートさん再建お願いできないでしょうか?

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