【歴史解説】MONONOFU物語(おすすめch紹介)

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【歴史解説】戦国時代、最も恐ろし過ぎる○され方をした人物 5選!第二弾!!【MONONOFU物語】

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今の時代も良いのか悪いのか何とも言えないけど、戦国時代から比べるとだいぶ良い時代かなって思う

こういった犠牲があったから平和な時代が訪れた事を忘れてはいけませんね。

宇都宮氏ですが、よく知られている城井鎮房で紹介した方が分かりやすいと思います。しかしとても面白くまとめられていて、また次の動画も見たいと思いました。

中浦ジュリアンは子孫というか親族が代々生き残っているらしい。その人が自分の先祖を調べようとしたら親族に先祖調査を止められた。しかし余計知りたくなって調べたら先祖の中に中浦ジュリアンがいたそうだ。

個人的には火炙りとかより兵糧攻め(飢餓・断水等)が一番かな。飢えに苦しむ上に外には、ご飯食べれる敵、周りの人は次々と倒れていく事を考えると・・

有馬晴信は最初、切腹を申し付けられましたが、「キリシタンは教義により自害できないので斬首刑にしてくれ」って訴えたのが容れられて斬首刑に変更になりました

天正遣欧少年使節の4人はみんな可哀想な運命を辿ったんですよね ローマ教皇との謁見、ヨーロッパ各地で大歓迎を受け4人の少年達は大きな希望を抱いて帰国したのでしょうね…

有名で名の残る人なら分かりますが、昔は東北辺りは飢饉、応仁の乱でも餓死者で鴨川が堰き止められたと本で知りました。権力のあるものだけが生き残れるなんて残酷な刑がないだけで今の時代もあんまり変わらないんじゃないかな。

天正遣欧少年使節にしろ慶長遣欧使節にしろ、時代がと言いますかタイミングが悪すぎましたね。信仰による団結力の凄さ怖さを実感していたからこそ、そうせざるを得なかったと思うと悲しくなります。

宇都宮重房は所謂、名門のプライドがあったのかな~と思いますね😅同じ時期に降伏した島津や、この数年後の伊達、北条など初めは秀吉に敵対してますからね。中浦ジュリアンは正に殉教と呼ぶに相応しい最期だと思います。

欧州諸国やカトリックがキリスト教布教を日本侵略の手段にしなければ、中浦ジュリアンのような悲劇は避けられたかもしれませんし、むしろプラスの功績にさえなったかもしれないのに、本当にあの当時のカトリックも欧州諸国も余計なことばかりしてくれたもんです。

神様って結局誰ひとり救わないよね

恐れ知らず長政も呪いには恐れるw

千利休高弟の山上宗二は秀吉の茶匠でしたが実直過ぎる性格が災いし秀吉を怒らせてしまい出奔しました。小田原の北条幻庵の元に身を寄せていましたが小田原の役の際に豊臣軍に投降しました。秀吉は利休の顔を立てて宗二を再登用しようとしましたが幻庵に義理立てした宗二が断ると激怒して、宗二の鼻と耳を削いで打ち首にしました。

今回は、○された人物がバラエティにとんだ企画で、大泥棒からローマ使節団までスケールが大きいです。ジュリアンが、ひたすらかわいそうなのに対して、岡本大八はざまあwという感じですね。実は鋸挽きと、牛裂きの刑が出てこなくて、ちょっとホッとしてます(´・ω・`)

昔の刑罰は残酷だヨーロッパ程ではないけど

宇都宮鎮房好きだなぁ。城井谷何度も行ってます。合元寺、刀を洗った山の中にある池というより水溜まりにも、鎮房が疫病や皆の幸福を祈願に参っていた神社や天徳寺のお墓にも行きました(^-^)合元寺は、ごうげんじ ではなくごうがんじ ですね。城井鎮房のことが書かれている本や焼酎、シール、鎮房の迎撃カレーや本、キーホルダー、切手、凧などグッズを収集してます♪

伊勢長島や島原など大多数の人間が死ねば統計学になるが、1人の死は悲劇である、とは偉人が言ったとかなんとか

石川五右衛門は釜茹でにされたと聞いていたからずっと水、つまり熱湯だったと思っていたけど、本当は油だったのか? 油なら、その苦痛は水の比じゃないな。

味方のはずの伊達政宗に殺された神保さん

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【歴史解説】最強の軍勢 5選!向かうところ敵なしの軍勢達!!【MONONOFU物語】

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新作動画、ありがとうございます。神出鬼没の伊賀衆や、一領具足の長宗我部兵など、登場してない軍勢がまだありますから、シリーズ第二弾も期待できそうですね(´・ω・`)

越後の上杉謙信の元には越後守護の上杉定実の他に関東管領上杉憲政、信濃守護小笠原長時、関白近衛前久、謙信自ら古河公方足利藤氏を擁立し、上杉軍は実力もさることながら、朝廷や幕府のお墨付と言う面でも最強クラスだったと思います。

武田、上杉の軍勢は強いですが個性の強い国人衆の集まりなので、信玄や謙信のようなカリスマ性のある当主でないとまとめられません一番バランスの良いのは島津家ですね

武田家臣軍団、今の会社の経営に取り得てほしい

やっぱり武田軍団が強くて好きですね。特に赤備えは美しい上に、強くて大好きです!

島津勢は敵から見ると(死を恐れないどころか、むしろ死にたいと思っているのでは?)と思ってしまうほどの勇猛ぶりだったとか。 戦場で島津と予定外に不意に出会ってしまった時、島津勢は敵に気付いた瞬間に、血走った目でフルダッシュで向かってくるそうです。その勢いたるや、勢い凄すぎて武器を持たずに素手のまま全力疾走で向かってくる兵士多数だそうです。それは怖いだろうな、と思います。

後に徳川家臣団に武田家臣団を合体して新徳川家臣団に進化したのであった。新徳川家臣団は武田流の軍制を取り入れたのであった。その代表が徳川家臣団の精鋭部隊である「井伊の赤備え」である。

織田の2回目の船、滅茶苦茶戦艦になってるキレンジャーも自分が盾になって味方を勝たせてる

上杉謙信でしょうか70回ほどの戦いで負けたのは2回だったそうですし、手取川の戦いでは「思ったより大した事なかった」と言ったとされてますよね。信長と直接戦っていたらどうなってたでしょうね

将兵たちの士気、やる気ですね。最も指揮を上げるのはその軍の将軍ですけど。今の企業間の戦闘と変わりません。

武田軍はやっぱり赤備えが有名ですよね✨飯富虎昌に始まり山県昌影を経て井伊直政に受け継がれてますから徳川にも関連してますね。島津は暗君無しと言われてますが忠良から繁栄は始まったと言っていいんじゃないですかね✨有名な島津4兄弟を育てたのも実質、忠良ですしね。

雑賀衆は秀吉に負けた後、朝鮮半島に一部が逃げたと言われています。二次朝鮮出兵の際、豊臣軍に多大な損害を与えたと、考えられています。紀州の敵を朝鮮で打つとは、秀吉は夢にも思わなかったでしょう。

自分は立花宗茂!両翼の小野、由布の2人の良いし何より部下思いの領民思い!!個人武力もよし!勉学もできる!!何より2人のお父さんとの話も好き

こんにちは。面白かったのでチャンネル登録しました。武田家は意外と負け戦があるけど騎馬軍団なんかは特に他家の騎馬と比べると強いイメージですね!

個人的にやはり武田二十四将と雑賀衆だと思います(真田十勇士と思ってもあくまでも架空らしいので)どいつもこいつも最強なんですけど島津家なんてほぼ最強だらけですし武田重臣とかだと高坂昌信、雑賀衆だと棟梁と岡吉正が村上水軍だと村上武吉(でもはっきりいえば九鬼水軍派なんですけど)のその辺りが好きなのです‼️

島津が選ばれていて地元民としては凄く嬉しい

関ヶ原の戦いで有名なのは島津家臣団vs徳川家臣団と武田家臣団のハイブリッドである「井伊赤備え」の直接対決であった

三方ヶ原の戦いで家康公の鎧兜を剥ぎ取り吾こそは徳川家康なりと叫び武田の騎馬隊に突っ込み徳川の家臣の死体を見たら背中に傷が一つもなく武田の騎馬隊方を向いて死んでいたそうです

武田家は現代でも必要なところあるね。

やはり甲州武田軍団は信玄公がまとめ、鍛え上げた文字通り最強軍団の筆頭です。

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【歴史解説】戦国の猛将 5選!! 絶対敵に回したくない武将達!!【MONONOFU物語】

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立花宗茂より高橋紹運が入ってないのはいかがなものか…岩屋城の戦いで763人に対して島津兵2万〜5万を半月で守り763人全員討ち死に岩屋城を捨てて撤退せよとの立花宗茂の使者と黒田如水の使者を丁重に断って最後まで戦ったおかげで島津が九州制覇を成し遂げなかった島津忠長が首実験に及んだときは泣いてたという逸話があるのに…

やはりここに居ないけど武田軍四天王(信虎、晴信期)赤備え最強の猛将飯富虎昌と上杉軍猛将柿崎景家かな。猛将とは言われてないが、雑賀衆の鉄砲隊相手に600万石の大大名自ら突っ込んで打ち破った信長を忘れてはならぬ。

マイナーだけど、長野業正の家臣で、新陰流を創った「上泉伊勢守信綱」は、武田信玄の軍に長野氏が攻められた時に応戦して、あの「赤備え」さえ生んだ武田軍の武将や兵士から「鬼神」って呼ばれるほどの戦働きをしたとか。

敵に回したくないというか、味方としても同じところにいたくないNO.1は森長可。信長も口頭や書状で注意するだけで、制御しようとしないし……

北畠具教殿も入れてほしいなぁあの塚原卜伝から鹿島新当流奥義一之太刀を伝授されただけで相当強いし、三瀬の変で自害するときも10人を倒し、100人程度に傷を負わせ自らはかすり傷すら受けず見事に自害したという優れた猛将だ

このチャンネルは色々勉強になる

色々な武将の本を読んで、私の1番は武田信玄です。でも、それぞれの武将の生き様には、熱くなりました。感謝申し上げます。

宗茂は五千位の兵を率いた時が、一番強さを発揮すると思う後、一対一だと足利義輝も剣豪将軍と呼ばれるだけに強いと思う

どんな弱兵でも強くする島左近、道明寺で何十倍の兵力差がありながら数時間持ち堪えた後藤又兵衛も追加や

人使いが荒くてパワハラ寄りの赤い人より、同じ四天王忠勝の方が臣下に人望があって、領地が多い赤い人の家から忠勝の家に転職する人が後を絶えなかったんだよね^_^

毛利元就と尼子経久の2人が「絶対に逆らえない存在」でもある、「元祖:鬼吉川」こと「吉川経基(きちかわ つねもと)」が入っていないとは・・・ それとも「最初期の戦国時代の武将」は一切、カウントされないのかな?

山県と並ぶ猛将・不死身の馬場美濃も推したい

戦国の猛将シリーズは、各地方ブロックごとにやっても面白いでしょうね。関東ブロックからは、真壁氏のほか、定番ですが長野業正を挙げさせてもらいます。

可児才蔵吉長が入ってないのは何故?甲州征伐の際に16、関ヶ原の戦いの際に17の首級を上げた為に通常討ち取った首級は腰に抱えるものの重すぎて持ちきれず首級の口に笹の葉を詰め込んで自らが討ち取った首級だと示していた武将で、何度も主君を変えた事でも知られているので味方の時に才蔵が上げた首級を横取りしようものなら敵になった時に自分が討ち取られて口の中に笹を詰め込まれる立場となるのではとさぞ恐れられたと思われますよ?

忠勝と宗茂の扱いに差がありすぎるきがするな、光栄さん

知らん人が多くてとても勉強になった☺

賤ヶ岳の7本槍の加藤嘉明も知略も武力も兼ね備えたいい武将だよ。多く活躍して大大名にもなったの知名度がなぜか低い。

相手にしたくない戦国武将福島正則→話が通じなそう森長可→話が通じなそう冨田長繁→話が通じなそう

227㎝の大男 三浦義意も恐ろしい当時160㎝くらいの男たちからすれば、もはや怪物だったでしょうね

個人的には島津義弘だと思う関ヶ原の敵陣突破し伊勢方面へ撤退韓入りの現地民の鬼島津の異名戦国最強武将と思ってる次点が本多忠勝

【歴史解説】戦国・農民のルーティーン1日編!実はこうだった!?【MONONOFU物語】

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戦国時代と言えば織田信長や毛利元就などを取り上げたものは多いけどこういう視点で戦国時代を考証するのも面白いですね資料や文献なども残っている物は少ないのでしょうが、農民の次は他の職業の考察もお願いしたいです

地元(高知)では刀狩りを免れる為に「祭の神賑行事の為の刀だ」と言って太刀踊りをしたり、神宝だと言って、神社の社殿の中に太刀を納めて隠していたものが今に伝わっています。

歴史学には民俗学も重要になります。武士ばかりでは無く市民にライトを当てたのは面白いと思います

農民が国を守るために戦う理由の中に略奪だけでなく、自身の畑を守るためってのも有りましたね。一般に農耕民族のほうが好戦的と言われる原因ですが、遊牧や狩猟民だと最悪他の土地でも行きていけますが、農耕民にとって土地を捨てるということは生活の崩壊を意味するので、襲われたら逃げ出すだけという事はなく、真っ向からぶつかっていったのが本当らしいですね。なので落ち武者なんかが逃げるために食料を得ようと村を襲うのを防ぐためにも、落ち武者狩りは徹底して行われていたとか。教科書では嘘というか表現がマイルドにと言うか、全く違うことを教えられますが、本当はもっと気合の入った人達が農民だったて話です。

年貢をどのような形で領民に還元してたかも今度具体的にやってほしいです土佐の国では貧乏で餅が食べられなかったお侍さんもいるぐらいだしみんな贅沢はしてなさそう

戦さえ除けば現代人の生活より健康的だなぁ

有名な武将の武勇伝よりこういう視点の歴史の話の方がいいです。民俗学が好きな人は絶対こっちの方が面白い。

こういうのでいいんだよ!!楽しい編集でした笑笑

勉強になったので高評価押しました(‘ω’)治平さんは浦戸一揆に参加して打ち首になったのかなってふと思いましたが、大坂役に出ているのでそれはなかったですね(‘ω’)幕末時のご子孫は迅衝隊に入り、勝沼で新選組を撃破し、若松城攻防戦でも活躍したのでしょうかね(‘ω’)

一領具足の実物を高知県で拝見させて頂きましたが、当時中一の自分(多分身長当時156センチ程度)ですら小さすぎて入らないだろう具足で、戦国時代の人達がヤバい生活していた事が察せられて相当ショックを受けました。

国民の85%は、先祖は一介の農民です。私達の先祖です。お百姓さんをもっと尊敬しましょう。

領国経営の難しさは、この農民を上手くコントロール出来るかどうかだもんなその点、北条は領国経営は抜きん出て才があった家康が関東に転封になって、居城を作る場所を決める時も小田原も候補となったが、北条家の影響が強く残っていた為に江戸に選定したんだよな

こちらこそ、またまた楽しませていただきました。ありがとうございました。

戦が始まりゃ、おにぎりこさえて近くの小高い山から見物し、戦が終われば金目のものを拝借してすたこらさっさ……

自分も一般人なので百姓と思っております国や自治体に支払う税金も年貢だと思えば少し滑稽に思え、多少不満も軽減します。自分の住む市長も藩主だと思うようにして遊んでます。

勉強になりました!ありがとうございます!

この頃の支配層が1番恐れたのって、他国からの侵略じゃなくて自国の農民一揆だったらしいですね。後、細かい事指摘するようですが農民などを徴兵した場合は「足軽」ではなく「雑兵」かと(・ω・)

農民が生産を担っていたわけで大切ですよね…そういえば、うちの田舎は戦国時代から同じ村におりまして、秀吉の朝鮮の役に地元の藩から足軽として出兵し海に落ちて亡くなりましたそうな☆兵農分離前でした~

治平さんは長宗我部没落後も生き残ったとしても山内一豊の相撲大会に喚ばれそうで少し曇りましたね…後農民だけでなく戦国・農民のルーティーンたけでなく武士や僧侶のルーティーン1日もしりたくなりました

侍のクラス別の兵動員義務数の説明を次回お願いいたします

【歴史解説】伝説の日本刀!?天下五剣のすべて!【MONONOFU物語】

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スピーディーでわかりやすい動画で感謝です。それぞれの刀に逸話があり、刀剣ファンでなくても楽しめますよね。

第二次世界大戦期の金属供出や空襲、終戦後の米軍による武器接収で数多くの名刀が失われてしまいました。天下三名槍の御手杵など国宝クラスの名品が失われたのは本当に残念な事です。

日本刀はとても美しくて、大好きです(´・ω・`)名前のついた刀は、やはりミステリアスな逸話に溢れてますね♪ますますバラエティーに富んだ企画続きで、目が離せません^^

人が作ったものが1000年も形を変えず残っていることが凄いと思いました🙇

刃渡りの長い、優美な腰反り、切っ先の細く控えめな太刀が大好物です。

とても面白い動画でした!

よくもまあ千年ぐらい前の刀を錆び付かせずに今日まで維持しているよね👍日本人の凄いところだよ👍

刀剣乱舞から天下五剣に興味を持ちました、現在は童子切安綱以外は実装されてるみたいですね。天下五剣が過去に1つの場所に集まった事は無いようですが、過去に『足利義輝が数珠丸恒次以外の天下五剣を揃えていた』というのは本当なのですかね?天下五剣が1つの場所に集う…とか見てみたいですが、天下五剣で唯一国宝ではなく御物で皇室に保管されている鬼丸国綱の展示許可を取るのが凄く難しそう…。追記どうやら1997年に東京国立博物館に数珠丸恒次以外の天下五剣が集った事があったそうです。数珠丸恒次は日蓮宗本興寺の関係者から許可が必要と思われますので、こちらも鬼丸国綱と同等かそれ以上に難しそうです。

どんなに素晴らしい刀でも忍びない。

「天下五剣」実にカッコいい銘々ですね。羅城門の鬼退治は日本昔話のマサカリ担いだ金太郎の坂田金時で知っていましたが怖い話でした。桃山時代、関白になった豊臣秀吉が庶民にも行った有名な『刀狩り』は鎌倉時代の吾妻鑑にも記述されていて僧侶から刀を奪う目的があったと思われます。しかしながら、豊臣秀吉がこの様な『刀狩り』を行った故に古来から残る貴重な刀剣が失われ、更に大坂城炎上で失った刀剣は数知れずなのだと聞きます。ちなみに、徳川家に伝わる『妖刀・村正』と言われるのは三重桑名で大量生産されていて数も多かったらしいです。ので特に徳川だけに害を及ぼしたものでもないようです。

少し前に、このような名前の主人公の相撲漫画とか無かったっけ? ていうか、6体を切った童子切の切れ味がスゲ~な!!

説明はありがたく分かりやすいが五剣にいくまでが長い…

天下五剣に比べればマイナーだけど祢々切丸とか好きです( ꈍᴗꈍ)

やっぱり官兵衛の愛刀が一番好き…

先祖が乃木将軍から貰って大切にしてた脇差を折って狩猟刀にして藪を斬りまくるウチの爺ちゃん

雷切ないの驚いた!

天下五剣と聞いて、鬼神降臨伝ONIを思い出すな!!

鬼丸国綱しか知らなかった……

疑問なんですけど、サビないんですかね?600年も経ったらどんなに管理してもボロボロになる気がするんですけど

狐絶滅しなくて良かったわ

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