【歴史解説】MONONOFU物語(おすすめch紹介)

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【歴史解説】戦国・見事な最後!5選!後世に語り継がれる男たち!!【MONONOFU物語】

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セリフの掛け合いがいいですねー!戦場の緊迫感が伝わってくるようです。あまり他では見ない構成なので、新鮮です。

面白くて胸の熱くなる動画でした!19:14 の鉄砲兵のイラスト、このような素敵な動画に使っていただけてとても嬉しく思います!ありがとうございました m(_ _ m)

個人的には戦国時代の豊後の大名大友宗麟の家臣、高橋紹運の最後が印象的でした。例えとしては適当でないかも知れませんが盟友立花道雪との関係が三国志の終盤の蜀の趙雲と諸葛亮に似ていた所も最後の悲壮感を増幅していました。高橋紹運の動画をぜひ作って頂きたいです。

同じような歴史チャンネルで10万人のスライド動画より全然面白い!!シナリオ、ナレーション、編集全て最高だと思う。

これシリーズ化して下さい!自分で調べるよりモノノフさんにお願いした方が詳しく分かるので笑

5選シリーズいいですね。テンポがよくて、面白かったです。もし機会があれば、名胡桃城代の鈴木主水を取り上げてくれないでしょうか。戦国時代で最も価値のある(?)最期を遂げた武将のような気がします。

MONONOFU物語さん お疲れさまでした!まず思う事は、私は「誰それが好き」とか視聴者の方の意見で武将の名前が出てきて活気があって素晴らしいですね。

佐久間盛政は賤ヶ岳の合戦で敗北後秀吉から肥後一国を与える事を条件に家臣に誘われましたが、大恩ある勝家に報いるために秀吉からの申し出を断り自ら死罪を願い出ました。秀吉は武士らしく切腹をさせようとしましたが盛政はそれも断り、派手な衣装で京で引き回しされることを望み、新着の小袖を着て下京を引き回しされた後処刑されました、

動画で紹介された武将以外では柴田勝家、高橋紹雲、鳥居強右衛門も見事な最期を遂げています

大谷吉継は有名で、どの歴史にも登場する猛将。戦国時代の「首を刎ねる」とは、首と胴体を切り離された者は、来世では生まれ変わる事が出来ないとされていたから。相手の血縁や恨源そのものを断ち切るという意味も含まれているという。参考迄に。

鳥居元忠も忘れてはいけませんよね。伏見城を枕に西軍の大軍と戦い、最後まで家康へ忠義を尽くし、三河武士として散っていきました。

湯浅五助の首を取った藤堂高刑の態度も見事だったんだよなあ。徳川家康に大谷吉継の首の所在を聞かれて、「自分は場所を知っていますが、絶対に他言しない約束で五助の首をいただいたのです。自分ならどのような罰も受けます。」と答えて、家康は見事な律義者よと高刑に褒美を与えたとか。

伝説の忠臣だった山中鹿介も入れてほしかった

私は鳥居元忠を挙げます。家康が会津へ向かい、その背後を伏見城にて鳥居元忠が伏見城にて二千の兵で守っていましたが、家康の動きに反応した西軍が四万の兵でもって伏見城を攻め、当然勝敗は火を見るより明らかでしたが、圧倒的な戦力差にも関わらず奮戦し十日以上も持ちこたえ、最後には火を放たれ落城し鳥居元忠も討ち死にするのです。そして、これは西軍にとって想定外の足止めになったのは間違いないでしょう。しかし、家康も元忠も家康が会津に向かえば西軍が伏見城に攻めかかるのは予想できていたので、お互いに覚悟の上で今生の別れとなったのでした。素晴らしい主従関係だったと思います。

清水宗治は切腹のお手本みたいな人ですよね。今の時代自分が死ぬから部下は助けてくれ!なんて言ってくれる上司に出会いたいものですね。

やっぱり足利義輝でしょ塚原卜伝の弟子であり卜伝の奥義一之太刀も使え二条御所で討死したときも自らの剣技で敵をなぎ倒し刀が刃こぼれしたら畳に刺してある他の刀を使って戦い続け最後は敵が義輝を障子を使って閉じ込めてそこから槍で突いてやっと討死した将軍単騎の強さだったら彼が1番だと思う

土屋昌恒を挙げて欲しい周りに裏切られ孤立してしまった武田勝頼に最後まで付き従い最後は切腹までの時間稼ぎをする為織田軍に突撃して奮戦し「片手千人斬り」した漢よ

滅びゆく武田家を見捨てる家臣が多い中、勝頼を最後まで助け命掛けて時間を稼いだ男片手千人切りの無双、天目山に散る土屋惣蔵昌恒こそ是非!

報われなくても、後世に名を残した忠臣は大好きです♪5人とも素晴らしい最期を飾りましたが、遠藤直経の、豪胆だけど人を見る目を持ってて、ピンチの中で一発逆転を狙う機転と行動力は、戦国時代でも超一流の人だと思います(´・ω・`)

無能な大名に仕え他の家臣は裏切る逃亡するなか戦い続ける家臣はかっこいいな…裏切る、逃亡が確実なのになぁ

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【歴史解説】低い身分から出世した武将たち5選!! 現代社会でも使える知恵?!【MONONOFU物語】

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低い身分から成功した人を成り上がり者なんて言いますが個人的にそのサクセスストーリーは大好きです。主君を色々変えた藤堂高虎は世間ではあまり良く言われませんが浅井家の足軽からのスタートで大名になった人物ですから凄いと思います。

通説でない、あまり知られていない逸話が詰まってますね。構成もスッキリわかりやすくてナイスです。

やっぱ猟師出身の堀尾茂助だろうな稲葉山城近くで狩猟をしてたら秀吉に遭遇稲葉山城の裏口を教えた結果秀吉(信長軍)は稲葉山城を攻略その手柄で茂助は武士に取り立てられる

大久保長安も能楽師から老中にまで出世したのは凄いと思う。

墨俣はよく作話と聞きますが、自分は奇襲を掛けるために砦くらいは作ったと思います。

大事な人物が抜けています。大和大納言こと、豊臣秀長です。彼も農民から100万石の大名に出世しています。兄秀吉のナンバー2として、豊臣政権をまとめ、時には一軍の総大将として丹後の攻略を成功させています。秀吉がもっとも信頼する人物でした。残念ながら、秀長も兄秀吉同様に嫡男に恵まれず、秀吉より先に亡くなったいます。秀長の死後、豊臣政権は崩壊への道を辿ると言えます。

義父と仲が悪く家を飛び出してあちこちで苦労したり見聞を広め経験を積んだからこそ人脈も出来たり将来に活かせたともいえる。 義父と仲が良くて家出をしないでいたら農民のままだったかも

11:30 田中吉政・・1590年岡崎城主となり「西三河地域」を、現在の都市計画・マスタープランを実行!岡崎を城中心の城下町に。隣の安城を「碧海大地(=安城が原)を農地不適格から、作物接種」とし、江戸時代を乗り越える。すごい才覚だと、思う。その功績にて、公園に、田中吉政胸像がある、

次々と新事実が出てきて、びっくりです(´・ω・`)斎藤道三のエピソードが親子2代のものだったなんて…、歴史学者恐るべしですw北条早雲も大出世してますが、この人はまだまだ、謎が多いんでしょうね。次回も楽しみにしています^^)/

秀吉も凄いのだが,何より彼を拾い上げた織田信長の凄さを痛感する.信長は出生や家柄など全く関係なく,才能あるものを重用していた.こんな大名他にはいなかった.どの大名も家柄を重視していたからだ.弥助なんて黒人奴隷だったのに信長は家臣として召し抱えたのだ.後々には城主にしたいとすら考えていたようだ.弥助の人柄と才能を見抜いた上での採用だったのだろう.考えてみれば信長の重臣,盟友には優秀な人間が多い.秀吉,家康,利家,長秀・・・彼の思想は豊臣政権はもちろん江戸幕府にも多大な影響を与えたと言えると思う.

信長が本能寺の変を迎えず生きていたら、黒人奴隷から大名になった男 として弥助とかも紹介されていそう。

蜂須賀小六。野党の頭領だったが秀吉と出会い、秀吉が出世するとよく補佐、秀吉は小六への恩を忘れず、阿波徳島17万5,000石の大名となる。

中国だと韓信、韓国だと李舜臣が有名だなフランスだとジャンヌ・ダルクかこうして見ると秀吉は為政者の頂点に立ってるからかなり異端だな

秀吉の姉妹の殺害は大政所に本当に産んだのか確認し否定したからとも言われていますよね。でも大政所は3回以上の結婚歴があったとも言われていますから後ろめたい不都合もあったのかもしれませんね。それにしても姉妹があまりにも可哀想でなりません。

出世する人は、世界中どこでも、どの時代でも「愛され、努力する人」である

滝川一益も甲賀の出自とも言われていますが謎ですよね。信長の代から織田家に仕えて俗にいう「五大軍団長」となり関東を任されたのですからこれも大出世でしょう。

田中吉政いかにも百姓っぽい響きの名前普通に現代でも同姓同名いそう

秀吉は確かに自分の低い身分を嫌ったりしていたと言う話はよく聞くけど、自分の身内…家族には優しかったみたいな事も聞きます…妹達を斬首したのなら、秀吉に対する見方がかなり変わりますね…高い身分手に入れても成り上がって調子こいてる輩は所詮クズかと思います…

井伊直政もスピード出世をしている武将ですよ!

まあ、足利一門と武家貴族といわれる者たち(武田・佐竹など)以外はみんな一括りで卑しいけどね!ここに紹介されているのは特にって事ですね。

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【歴史解説】戦国の名君 豊臣秀長 貴方が長生きしていれば・・・【MONONOFU物語】

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権力絶頂の秀吉を唯一諫めれる存在だった秀長の喪失は本当に惜しいこの人が生きていたら秀次事件も穏便に済んだのではないかと

秀長はほぼ全てにおいて素晴らしい

No.1よりNo.2とは言ったものの、ここまで素晴らしい実弟はなかなか居ない。

堺屋太一さんの本面白かったです!小学生の時に読んでよく理解してないくせに、読書感想文にしたほどです!

秀長いれば家康を止められたのに千利休や秀次そして秀頼も支えられたのにほんとに重要人物

大和大納言:豊臣秀長。豊臣家の当主を目指すこともなくあくまで補佐として生き抜く生涯であり今の時代、ご存知ない人も多いようですが存命中は、とても有名な方だったと思われます。寛仁大度(かんじんだいど)の人であり豊臣家の至宝でもあったと思います。私も次男として、兄を助け秀長公の行き方を参考にして行く所存です😊

藤堂高虎が主人公の大河なら理想の上司として描かれそう。

豊臣秀長この人が長生きしていたら確かに歴史が変わっていたかもしれませんね豊臣家も滅亡しなかったかも

秀長の凄さは学習能力だと思う、武士の作法も国の運営も兵法も何の知識もなく、秀吉よりもかなり遅れて武士に転身してるのに代々守護職を務めるエリートにもなかなかいないトップクラスの名将になるとは…半兵衛さんから教わったのかも。

豊臣家に限らず、栄えた武家とは、家の運命を左右するような、重大な局面に、超有能な家宰(ナンバー2)が居た家がほとんどだと思います(-o-)/ 伊達家の片倉景綱とか、上杉家の直江兼続とかが知られていますね

豊臣秀長をメインにした大河ドラマを希望します😃

この人ほど、長生きしていれば…と言われる人はいない。秀長ような諫臣は秀長の死を以て皆無となり秀吉の暴走が始まる。

大河「秀吉」では秀長を演じていた高嶋政伸、「太平記」では足利直義を演じていた。両方とも能吏に長けたNo.2キャラ。

立派で人望があって、先を繋げていく勇猛な人物が早くに亡くなるのは本当に残念ですね…もっと先を見据えれたなら時代の進みも変わっただろうに…

長生きしていたら豊臣家の家臣の対立もなかっただろうし、秀吉より先に亡くなったのは本当に惜しかった

秀長が存命だったら、豊臣家は安泰だっただろう。前田利家といい、豊臣家はいい人材を次々と失ってしまったのが痛かったな。

温厚で有能で誠実無比、そして野心を抱かぬ、百姓育ちの実直な弟。身内すら信用できない武家の世界で、これほど恵まれ過ぎた、天の贈り物の幸運の大きさを、秀吉はちゃんと、気づいていたのでしょうか(´・ω・`)

戦国武将で一番好きな武将なんだよな・・・。

主も家臣団も惜しみなく手助けし組織力を最大限に高めた、まさに天下の名サポーター! この方が無くなりその時まで快調だった秀吉が歪み豊臣滅亡フラグが次々と立てられ、本当に惜しかったです。やはりどんな戦国武将も、運命に見放される恐ろしさは軽視できないですね。ありがとうございました!

本当秀長が長生きしてたら秀頼を支え、豊臣派も多いままで、家康も下手に手を出せなかったでしょう。

【歴史解説】戦国武将・最弱選手権!! 最も戦いが下手だったのは誰?【歴史解説】

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(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】戦国武将・最弱選手権! 最も戦いが下手だったのは誰?

小田氏治は鬼義重に勝ったことがあるから決して弱くはない

小田氏治最弱と言われてますが、周りの家臣が有能だから弱いというよりも、戦が下手のイメージ民と家臣とても大事にする、同じ織田でもこちらの小田の方が好き

佐竹義昭が上杉謙信に出した書状には「(前略)小田氏治には優れた才覚があり、 譜代の家人にも覚えの者が多くとにかく家名を保っている」とあるのでネタとしてはともかく最弱ではないでしょうね。上杉・佐竹・北条と戦い続けて何度も小田城を奪還している上に豊臣秀吉に領地を没収されるまで領主としてあり続けたのはむしろ強い部類に入ると思います。城を奪還しているという事は負けたのと同じくらいの数を勝っているという事ですからね。ちなみに信長の野望だと全武将中最低能力値は一条兼定だそうですw

今回もとても面白かったです(*^^*)アニメーションも凝っていてつい見入ってしまい、いつも動画があっという間に終わってしまいます😇

朝倉義景は領地経営は文化面での実績はあるものの兵を気遣って大雪では行軍させなかったり、愛息子を失う喪失感と人間らしいのは魅力だとは思うけど 将としては優柔不断で、決断力に欠けるかなぁ……致命的レベルの

MONONOFU物語さん いつも楽しく拝見させて頂きありがとうございます!個人的なリクエストがありますが、採用されるか否かはご判断にお任せいたしますので無視されても良いですよ。各々有名な武将の初陣勝利を取り上げてみては如何でしょうか?少しでも歴史に興味をもってくれる方々が多くなって欲しいと思いますので・・・。例えば、織田信長の桶狭間の戦いは綿密な作戦だったのではないだろうか?源義経の一ノ谷の戦いはヤケのヤンパチだったのではないだろうか?上杉謙信の19歳での初陣勝利はマグレだったのではないか?他にも様々な武将が居ますが、色々な検証を交えて動画にして頂けたら嬉しいと思いますので宜しくお願いします。

豊国と家康の逸話はわざと呆れるような事言ったのでは悔しさアピールしたら取り潰しになりかねないし野望持ってるとか思われたらアウトだしこの時代の権力者とのやりとりって凄い気を使うものだと思う

大友義統は最弱というよりしくじりの代償が高すぎた…

朝倉義景が弱いとは、思わない弱かったら朝倉攻めに家康まで参加してないと思うし、姉川の戦いも家康軍参加してるし信玄と連動しての信長包囲網は信玄の寿命がもう少し長かったら、成功してたかもやし信長が、強すぎた

今川氏真は平和な時代ならいい君主だったかも

朝倉宗滴が没したから、じゃなく朝倉義景の場合は、信長の様な人物と敵対した癖に積極的な行動をせずチャンスも活かさず無為に過ごした為。

小田氏治は城を取り戻せず娘が結城秀康の側室になっていたので越前へ宿敵、結城晴朝も秀康の養父ですからやはり越前へ一方、佐竹氏は関ヶ原後に秋田へ転封結局、小田城を奪い合った人々は、この地を去っている。なんだかなぁ

ん?一条さんが入っておりませんが?朝倉氏と織田氏は元々越前の守護代だったので、強烈なライバル意識もあったのだろうなあ。

なかなか、面白い企画ですね。山名豊国は戦ベタでは、有りませんょ、先見性が、ずば抜けて、先の損得勘定に、長けていただけ、鳥取城に籠城した時、秀吉と黒田官兵衛を手玉にとって、いたから、後で鳥取城を攻める方法を秀吉に伝授して、ひっこくスカウトされてお伽噺衆になって、常に秀吉の側近で仕え、また家康、秀忠、家光の、お伽噺衆で信頼されていたので、単なるバカでは、なかったです。

小田氏治に竹中半兵衛の様な孔明に例えられる軍師がいれば ・・・。

一応小田氏治は周辺国の手紙の中で武勇に優れるとか書かれてるんだよな。しかも負けた相手は格上か連合組ん出るかのどっちか。軍事的より政治的能力の方が低かったんだと思う。

全く良いところの無い最弱暗君は、やはり大友義統だろうな。他の奴らとは比べ物にならない。

朝倉って六角とつるんで浅井と戦ったことあるし、浅井の裏切り理由ってまだまだ研究必要な感じやけど、朝倉はその前から若狭攻めてるし織田との戦争というより足利幕府との戦争って面が強い気がする。

見ていて、戦下手以前の問題児が多く、戦国時代に向かなかった人が多い気がする。江戸時代に生まれていたら、野心がないので、生き残れたと思う。氏真は、負けても良いから敵討ち合戦しておけば、また違ったと思う。

個人的には上杉憲政だな北条氏に一度も勝てず挙げ句の果てに上杉謙信(長尾景虎)に上杉姓と関東管領を譲るほど先見の明もなく上杉景勝と上杉景虎が家督争いで争った御館の乱では景虎側につき景勝側の兵に謀殺されたこの乱で本家山内上杉氏は滅亡した

【歴史解説】戦国の奇人・変人 5選!どの時代に必ずいる!!【MONONOFU物語】

【歴史解説】戦国の奇人・変人 5選!どの時代に必ずいる!!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】戦国の奇人・変人 5選!どの時代に必ずいる!!【MONONOFU物語】 …

真田丸は作られた部分が多かろうが今回取り上げられた人物の特徴はしっかり出てましたね。時代の変革に柔軟に対応出来た伊達は真田信繁の子孫を守ってくれたりと有能すぎます。

小中学校の通学路に「塙団衛門」の墓がありましたが、気にも留めず通り過ぎていました。有名な武将だったのですね。

ナレーションが素晴らしい。

賤ヶ岳の七本槍の平野長泰さんは確か七本槍の武将の中で唯一戦国大名にならなかった人で加藤清正が何故なのか聞いたら、上に立つ人間になったら気軽に立ち小便も出来ないから私は今のままで自由でいたいと言ったというお話を聞いた事あるけど…もし本当だったらたぶん欲が無かったんですね~

政宗公も酒でなかなかのやらかし癖があったとされています。家光公に手料理を振る舞った際も、毒味役を叱りつけたというエピソードがあったり…政宗公が亡くなった時に江戸を数日間喪に服させるほどに、家光公からは好かれていたそうです。

仙石久秀は鈴だらけの陣羽織などの派手な服装で小田原の役に参戦し戸次川の戦いで失った信用を回復し秀吉から許されました。

塙団右衛門は仕えてした主君が違っていたら出奔していなかったと思う加藤嘉明はスタンドプレーヤータイプを嫌うから、決別してしまうのは避けられなかった加藤清正などは嘉明になぜ団右衛門ほどの豪勇を優遇しないのかと言っていたそうですから

逆に、江戸城内に立ち小便できるところがあったのがビックリしました💧雪隠は遠かったのかゝ昔はトイレは母屋とは別に作られてたみたいだから、城出なきゃいけなかったのかなぁ〜立て看板あるってことは、そこでやる人いたから禁止項目になったんだろうなぁと、最後の前田さんが気になっちゃって(笑)

前田利常は動画のような奇行を行ったが、実際は非常に名君で「加賀の狸寝入り」と幕府から陰口をきかれたそうだ。

福島正則は酒の失敗が無ければ、なかなかに優れた武将なんだがなぁw

一定の割合の率を示して欲しい

前田慶次がサムネなだけで嬉しいです🤩

塙団右衛門入ってたのめっちゃうれしいです!自分的に一番の変人は岡左内さんですかね!

団衛門のような抜け駆け先駈けは当時は良い事とされ命令違反も不問とする風潮があったはず。源平合戦ではけっこう美談として伝わっている。実際一人の武将の勢いで負け戦が勝ちに転ずる事もあった時代だからね。日本軍にもそんな気風が残っていたようです。

細川政元はまじでヤバい彼が普通の人だったら室町幕府は滅亡し、彼が幕府を開いたかもしれないのにそうならなくても細川宗家があんなことにはならなかったはず

加藤嘉明は団衛門が「所詮は猪武者にすぎない」と見抜いてたんでしょうね…前田利常の本気でアホを演じて家名を守ろうとする捨て身ぶりにも凄味を感じますね😨

サイコパスじゃなく只の酒癖の悪い人

政宗って野心家でもあるけどなんとなく憎めない性格してるな。

うちの会社にも変わったのが何人かいるから。時代関係なしに、変人はどこにでもいるんだな。

もしや!俺の先祖も何かヤラカシタかも(笑)😅雁坂峠地区の奇襲軍隊でしたので、竹やぶから登場して、坂道を下って奇襲して足止めをしていたそうです!天を味方に付ければ勝ち戦となる!雁坂の山脈は、荒ぶる壁となる!と先祖は残しています。

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