【歴史解説】戦国・実際に戦で戦った女傑達!【MONONOFU物語】
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【動画内の間違いとお詫び】いつもMONONOFU物語をご覧頂きましてありがとうございます!動画内の甲斐姫のお話の中でいくつかの間違いがございました!1、ナレーションでは忍城と話しておりますが、画像が小田原城でした。2、ナレーションでのお話では忍城を攻めた武将の中に浅井長政と話している箇所がありますが正しくは浅野長政でした。3、動画内で後北条との人物画像が出てきますが、鎌倉北条氏の表した物だと思われます!お詫び致します。大変失礼致しました!
伊達政宗公とガチで闘い抜いた阿南姫も紹介して欲しかったな。須賀川城🏯を家臣の裏切りが無ければ落ちなかったのに
良い話ですね。大変なピンチに陥って、劣勢の状況でも屈しない立ち振る舞いは見習いたい!勝った負けた、強い弱い、成功失敗関係なく、感動しました。
甲斐姫の母方の祖母に当たる妙印尼(由良輝子)も女傑だった。天正11年、金山城・館林城を接収しようとした当時の主君・北条氏直に抵抗して籠城戦を指揮。これには敗戦するが息子二人が北条方についたため、所領は安堵された。しかしその後、息子2人が佐竹方に通じたため小田原に幽閉されてしまい、そのまま迎えた天正18年、関東に攻めてきた豊臣方に孫を連れて参陣。松井田城攻めに加わり、後、常陸国牛久に所領を与えられた。
時代は違いますが、やはり女傑と聞いて真っ先に思い浮かぶのは巴御前でしょうか。幼い頃に養子としてやってきた源義仲(木曾義仲)と共に義兄妹となり、戦場でも常に義仲を支えた彼女こそ女傑と呼ぶのに相応しいと思います。
龍造寺隆信の母の慶誾尼も中々の女傑よ。少弐氏によって夫を殺されても息子を守り、鍋島家に再婚 今山の戦いにて佐嘉城で包囲された息子隆信を叱咤し夜襲へ導いたり沖田畷以降緊急で国政に参画したり…
家康と戦って討ち死にしたというお田鶴の方(曳馬城主・飯尾連龍の妻)もすごい
伊達政宗の母の義姫は政宗毒殺未遂説がクローズアップされがちですが、夫の輝宗と兄の最上義光が争い義光が窮地に陥ると駕籠で戦地に赴き輝宗に抗議し軍を引かせ、大崎合戦で政宗に危機が迫ると輿で戦場に乗り込み最上と伊達を和睦させるなど行動力は抜群だったと思います。
瀬戸内のジャンヌダルクの女性用甲冑が鶴姫神社に残っています。小さな甲冑で子供用みたいに可愛らしいものでした。ちなみに山中鹿之介の奉納された刀もありました。皆様夏の旅行に瀬戸内へ行かれては?コロナ禍ですが汗
真田氏好きとしては、戦ってないけど小松姫を挙げたいですね。小山会談の後、義父と義弟を沼田城内に入らせなかったところが、なかなか・・・。
落とし穴もイタズラではなく列記とした戦力である件
子供の時に聞いた話で、籠城した城から針を使い防衛した女傑が居たみたいです。針を吹き矢のように使って敵を追い払ったが、針を使いきったら城は攻めきられ、落城しました。その責任は自分の不甲斐なさだと自害したと聞きましたが、名前を覚えてません。知ってる方は居ますか?
「甲斐姫」は、アクションゲーム「戦国無双」でも、美しくそして強い女武者として扱われています。ですが、巷では「熊姫」とあだ名されている上に、主君である北条氏康からは、その強過ぎるが故に「成田ん所のせがれ」と、イジラレています。
戦国時代じゃなかったらやっぱ巴御前が好き。
女性の武将はいたと思うけど、隠したがるだろうから、真実が表に出るのは難しいよね🐸それでも伝わるのは真か伝説か難しいね🐸
西国の妙林尼、東国の甲斐姫この乱れた戦国を逞しく生き抜いた姫君の話はグッときますね。
妙林尼、こええ……ゲームなら知略90、統率70は固いな。やばそうな個性も持っていそう。島津から見ると腐れ外道も良いとこだろうなあ。
女武者かつ大友氏を取り上げているのに筑後猫尾城城主黒木家永の娘=13才で父の介錯を務める羽目になってしまった人物を取り上げないとは(泣)因みにその娘福岡のほうの旗本の家に嫁いだそうな。
妙林尼さんの作戦面白い
色々感謝です
【歴史解説】戦慄!?悲劇の落城物語!! 5選!【MONONOFU物語】
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時代物のテレビドラマでは、あまり見られない残酷な落城のエピソード集ですね。あまり触れられないような、戦国の悲惨な面も、ちゃんと紹介してくれる、MONONOHU物語さんに感謝です(´・ω・`)
毎回動画が凝ったつくりなので、楽しみに見ています。
高天神の武田方の将兵は兵糧も尽き、降伏も却下される中、突撃を敢行し討死した。降伏が許されないなら選択肢は自刃か突撃しかない。その決断に至った心境は察するに余りますね。
うちの祖先は、とある地方の豪族のような存在だったようですその所為か、こういう話を聞くと血が滾ってしまいます落城や敗退というものはどれも悲惨なものですが、兵糧攻めを受けたところほど苦しいものは無いと個人的には思います
取り上げる所がナイスです♪本当にもっとチャンネル登録数増えて良いチャンネル!
籠城戦で悲惨な戦いになり、籠城で生き残った城は案外少ないのかも知れません。戦国時代は弱肉強食の世界と似ている所もありますね。個人的に東京に住んでいますので、関東近県の城の歴史を調べると江戸城も落城した一つなんですよ。太田道灌により築城された江戸氏の江戸城は後北条氏の二代目と云われる北条氏綱によって攻められ落城しました。文献などろくに残っていませんが、その落城は悲惨だったのではないかと想像します。ちなみに、関東にある後北条氏の城は約40ヶ所もあって城巡りの醍醐味さえ感じます。まだ5ヶ所しか訪れてませんが全ての城を歩きたいと思っています。
毎回勉強になります。ありがとうございます。
八王子城も小田原征伐時に他に類を見ない殲滅戦となり、将兵だけでなく多くの婦女子も自刃、または滝に身を投げているんですよね。今でも心霊スポットの噂もあるぐらいですから、相当に凄惨な戦いだったことが容易に推察できます。
阪本城、安土城、飢え干しの鳥取城、水責めの備中高松城、関ヶ原前哨戦の伏見城、関ヶ原の仕上げの佐和山城、、涙なしでは語れませんな。ちなみに我が地元の城は秀吉の四国征伐の際、落城しております。今でも土塁を見ることが出来ます。
岡部元信はかっこよかったですね。この手の籠城は悲惨なの多いですよねしかし、豊臣は何故統一できたかが垣間見えますね、他は切る事を決断しますが一応助けようとする体を取る事で恨み買わずさらに周りにも不信を招かずさすが人たらしだと思いました
岡部元信を取り上げていただきありがとうございます😊家康の遠江侵攻を何度も阻止し勝頼からの信頼も厚かった元信でも北条氏政と対峙して後詰を送れない勝頼も辛かったでしょうね 元信は城兵に酒を与え最後の訣別の宴を開き その日の夜に徳川軍に突撃し壮絶な死を遂げたんですよね
信玄はやるときは徹底的にやりますよね。そうでないと戦国時代を生き残れないのでしょうけど
野戦ならバラバラに逃げることも可能だから野戦のほうがましなのか
別の意味で落城したのは内ヶ島氏の帰雲城 地震で内ヶ島一族もろとも土砂で埋もれるこんな終わり方をしたのは世界的に見てもこの城だけでは?
このナレーションの方の声が聞きたくて何回も見てます。
鳥越城の戦いえぐかった自分の中で一番えぐいと思った
渋いいい声のナレーションと実際の風景に、時々現れるマンガちっくなイラストのギャップが面白いです❣戦国の世は非情ですが、化けてでてこられて呪い殺されそうなことをやってのけるんだから、武士ってメンタルすごい‥‥と平和ボケした自分は思ってしまいますゝまた動画拝見させて頂くの楽しみにしてます❣
武田は奴隷を売り飛ばすのも一つの財源としていましたからね。豊かな土地でない本拠地ゆえに戦いを続けるためには手段を選んでいられないという事情もあったのでしょう。とは言え、そういうところでかった恨みが陰りの見えた武田家衰退に拍車をかけたところもあるのかもしれません。
楽しみにしています♪
それに比べて何度も落城させて取り返し最後は寿命で死んだ小田氏治はすごいと言うか運がいいとか。
【歴史解説】誤解だらけの戦国武将 5選!世間から勘違いせれてる武将達!【MONONOFU物語】
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冒頭の信長について、実は意外と戦に負ける事が多かったようです。でも信長の凄さは敗色濃厚になるとさっさと退くことで大敗を防ぐ切り替えの早さにあると思う。他の大名は自国を守るために戦っているのに比べて、信長は天下布武を掲げて以降は最終的に天下が取れれば目先の戦は敗戦処理を間違わなければ負けても問題なしということかな^^
細川 藤孝もインテリのイメージがありますが、時勢を見て主君を乗り換えるのが、上手な人だったですね。光秀のエピソードは意外ですが、秀吉も悲惨な兵糧攻めをしていますし、けっこう悪いイメージは全部、信長に押し付けたところがあるのかもしれませんね(´・ω・`)
三成は人望ないというか仕事馬鹿のコミュ障だから仕事で世話した相手は割と仲良いですね西軍に関してはそもそも毛利が総大将で無理矢理取り込んだ軍勢も多いから三成の人望はあまり関係ないかと
誤解だらけというか、判断が難しい武将として、今川義元を挙げておきます。「海道一の弓取り」と称されるぐらいの武将なのに、いいイメージの人は少ないでしょうね。
歴史ロマンだから、話半分で楽しみます。
北条氏政も早雲、氏綱、氏康、氏直の四人は君付けなのに氏政だけは呼び捨てされていたり(確か北条記のことだったかな?)と当時から他の四人と差別されているが彼の代で北条氏は領地を一番持っていたから決して無能ではないと思うが
武田勝頼は普通に武田軍の殿軍務めてたりしてるから武将として有能だったことは間違いない。
氏政さんはそんなに酷い方ではないんですよね…どうしてこうなった感がありますね歴史好きとしては…(主に戦国時代)
三成は決して無能な訳でも、性格が最悪な訳でもない。島左近や大谷吉継との逸話を見れば解る。ただ、世渡りという点において家康が圧倒的に勝っていた。
最上義光かなぁ…大河ドラマ「独眼竜政宗」のせいで陰湿な謀略家のイメージがあるけど実際は戦の時には陣頭に立ち民政にも力を入れた英明な人だったそう。
最大版図を築くということは敵を増やすこと
勝頼もなぁ、親父と兄貴が喧嘩せず(難しいとは思うが)にスンナリ家督を継承してくれれば、親類衆筆頭クラスとして、及び優秀な前線指揮官として幸せだったろうに。当主(それも代行)なんて苦労ばっかり。
「じんかん」という小説を読んで松永久秀の印象が180度変わりました。むしろ一番好きな武将。
真田丸の最後に見た幻の信玄を思い出すが、勝頼は叱られることはないだろう。よくやったと褒めてあげたいね。まさにこの動画にもあるように、あの悲劇の戦いから約7年も生き延びたのは立派!
三成は毛利輝元を総大将にしたのが失敗だったかも。石高的には仕方ないが器が合ってなかった。前田利家が生きていたら…タラレバを言ったらキリがないですがね。
諸説あり・・・の1つであって、この動画が全て正しいとは言えない気がする。
後世の作家によってあたかも事実のような物語が創られる。これは科学史でも同じです。
三好の松永久秀は織田の明智光秀のように思える(畿内に対する有能具合)
大河ドラマは、あくまで歴史の流れ沿った架空の人間ドラマだからなぁ・・・。昔から軍記物、時代が下って講談や歌舞伎・浄瑠璃・小説・映画も人気だっただろうし、固定したイメージが作り上げられてったんだろうね
基本的に大河ドラマのせい。作家にとってもシナリオライターにとっても明智光秀は本能寺の変までの心理描写の変化が作り安い。武田勝頼は長篠の戦い~武田が滅ぶときまでが多い。信玄の方がストーリーが作りやすい。
【歴史解説】海賊大名 九鬼嘉隆の生涯と一族のその後【MONONOFU物語】
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いつも面白い動画ありがとうございます^_^九鬼水軍勉強になりました!15分くらいの短い動画のほうが隙間時間に見やすくてありがたいかもです笑
流石は天下無双の九鬼水軍!数多ある戦国時代の水軍の中でも九鬼水軍の士気の高さと強さは群を抜いてる
九鬼水軍といったら石山本願寺との木津川口の戦いが有名だけど長島一向一揆との戦いでも中州にある長島城を海上封鎖するなど織田軍のなかでも重要な役割を果たしてます
再生時間が長めで嬉しいけど、字幕がちょっとちっちゃめかな。もう少し大きくしたほうが読みやすいかも(^^)
🌴🌏🐎海賊大名の歴史も知らない事が沢山で勉強に成ります良いですね🐭
嘉隆が自害しなかったらその後どうなってたか、守隆と西軍東軍とで別れてる時点で運命は変えられなかったかもしれんが子孫が未だに続いてる事は嘉隆にとって朗報でしょう。
兵庫の三田に行った時、九鬼家の屋敷を見てびっくりした思い出があります。水軍の末裔が海から遠い三田に!!
子孫が志摩の国から伊勢の国、四日市市に移住して食用胡麻油生産に従事している、社名は【九鬼産業】ここの一族から四日市市長が出ている。木津川の戦いで本願寺応援の毛利方、村上水軍との戦いで鉄甲船を建造した❗
現在、鉄甲船については疑問視されていますね!石山本願寺戦移行パッタリとその存在が消えていること有力な兵器なら持続的に活躍しているはず・・例えば小田原攻めとか?鉄甲船のインパクトがあれば北条水軍に見た目で圧力かけれたはず?
水軍ってあまり歴史もので語られないからなぁ🐸勉強になりました🐸
九鬼にスポットを当てるとはマニアックですな。村上も頼みます
九鬼水軍といえば、やっぱり、村上水軍を撃退した木津川口の戦いでしょうね。10年間に及んだ本願寺勢力との争いを、織田家優位に終止符を打つきっかけとなったのですから。しかし、九鬼嘉隆を自害に追い込んだ豊田某って何者かと思えば、娘婿だったんですね。守隆にとっては姉婿。九鬼家のためを思ってのことだろうけど、独断でやったら、そりゃそうなるよね。
三河の領主は松平 元康、徳川家康ですよ。wikiからですが、嘉隆亡き後、守隆は水軍を率いて大坂の陣を戦い、江戸城の築城に当たっては木材や石材を海上輸送して幕府に貢献したしかし守隆没後家督争いが起き、九鬼氏は二分された上に内陸へ転封となり、水軍としての歴史は終わりを迎えたので。
子孫がプロ野球選手の海賊ってカッコイイ(*´▽`*)
確か徳川秀忠の正室お江の最初の輿入れ先が九鬼家じゃなかったかな?といっても、お江がまだ7つか8つくらいの年齢のことだけど、、
三傑の脇で働くポジションの 主役の大河には無理かなぁ 功名が辻とかみたいな感じで( ´ ▽ ` )ノ
四日市の九鬼家の事を、『所さんのそこんところ』の東海道お宝探しでやってましたよ。
末裔のことは地元でも有名
確か豊臣政権になってから九鬼水軍も村上水軍も衰退したんだよね🤔
間違ってますよ。三河の領主は徳川ですよ
【歴史解説】戦国の名君 保科正之 江戸幕府、初代・副将軍?MONONOFU物語】
(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】戦国の名君 保科正之 江戸幕府、初代・副将軍?MONONOFU物語】を …
家光にとっては、将軍争いをした忠長やほぼ同年代の御三家ではないの叔父たちに対する中で、信頼できる弟がいることが嬉しかったんだろうな。
冲方丁先生の小説天地明察や光圀伝にも登場してますね保科正之が土津霊神として祀られる経緯が詳しく書かれています。民政家として史実の業績も素晴らしく上杉鷹山を上回る名君だと思います。
戦国時代ばっか勉強してるから保科正光の活躍は知ってるけど養子がこんなに優秀だったとは知らなかった!保科正之の上のものにも忖度せず民を思うのはいまの政治家のあるべきすがた歴史を学ぶ意味ないっていってる人がいるけど人としてあるべき姿を歴史は教えてくれる長文失礼しました
幸松(正之)の存在を知ったお江は幸松の引き渡しを見性院に要求しましたが、見性院は「私はこの子を『将軍の子』として預かったのではない。『我が子』とするために貰い受けたのです。」と宣い、引き渡し要求に頑として応じなかったらしいです。
「明君の碑」と言う小説で保科正之公を知りました。 家光と忠長の仲が最悪だっただけに、何方も「律儀な弟」が可愛くて仕方なかったのでしょうね!
家光は秀忠の存命中に将軍になっていた筈では?秀忠は大御所として亡くなっていると思う。
徳川御三家に次ぐ家格でありながら松平姓も葵紋の使用も固辞した正之。秀忠からは認知されなかったが家光からは重用された。徳川将軍家の人間では徳川吉宗と保科正之が名君のツートップでしょう。
正之を立派に育てた育ての親保科さんが凄い
大昔の資料残ってるの凄いよね・・・近代になり士農工商身分はなかったとからしいじゃない。歴史って奥深いから好き
保科正之が経済に明るかったかどうかは知らないですが、必要な時に財政を出動させたり、天守閣の再建より街の復興を最優先させた判断は、今の政治家に見習ってほしいですね。この後、幕府も会津藩も経済的に苦しくなっていきますが、まずは、今を大事にしないと、その後は、さらに悲惨になりますからね。
江戸城にもう天守閣なんて必要なかったけど、やっぱり建ててほしかったな
ペリーが来航したときに、井伊直弼じゃなくて、このような人物が大老だったら、もしかすると、今も江戸時代が続いていたかもしれませんね(´・ω・`)
保科正之と北条氏康が今の政治家にいたらどんなに良い国になっていることか。
女性議員が保科正之を持ち上げた際、会津藩家訓の「婦人女子の言 一切聞くべからず」には一切触れてなかったなあ……
実は正之はお静の2人目の子供で、1人目はやはり正室の怒りを恐れて中絶した。その後も秀忠と関係を持ち続けて、正之を懐妊して将軍の子を2人も死なせるわけにはいかないと出産することに。
戦国の気風が残ってる時代には産まれたかも知れないけど…
竹脇無我が演じた『梓右近』の兄君。里見浩太朗が演じた『松平長七郎長頼』の叔父君。
正之は名君ですが、会津の家訓のおかげで幕末の悲劇を・・・。
正之は松姫に育てられたんだね。意外な接点だな。
この人がうちの社長なら付いていくのに。
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