【歴史解説】MONONOFU物語(おすすめch紹介)

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【歴史解説】戦国・穢多、非人!人ならぬ者の物語!【MONONOFU物語】

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闘争ありきだけの同和教育でなく、文化技術を担った人々がなぜ理不尽な差別に繋がってしまったのかを明確に解説してくれるこの動画、本当に勉強になる。

このような過程を教科書でも説明することでもっと差別が少なくなるだろうと思いました。穢多と非人の人たちは尊敬に値する人だということが知れてよかったです

教科書に結構な頻度で出てくるのに、どういう身分なのかが書かれてないからずっと疑問に思ってた。こう言う解説助かる。

近年差別に当たるとこう言った話題を出す事も聞くこともタブー視され、さらなる差別、区別を招いている様な気がします、どういった人々だったのかがとてもわかり易く紹介されて理解が出来ました😌

今の時代では「穢多、非人」は差別用語と言う事で口に出すのもダメな感じになってますがこの様にきちんと教えていただければ単なる差別用語では無いのが勉強になりました。

とても勉強になりました。漠然としか習っていなかった身分制ですが、理解できました。士農工商は、豊かな商人を農民より下にすることで、農民に優越感を与えて不満を減らすのも目的と聞いた気がします。穢多非人も同じような理由から比較的自由人だった人たちを下にしたのかもしれないですね。実際の暮らしは農民よりも商人の方が、豊かだったろうし…江戸時代にも、穢多非人も必ずしも貧しくなかったのかな……??

こうして動画になるとわかりやすいし、説得力がありますが、ここまで真面目に動画を作るなら参考文献を記載して頂くと参考になりますし、ファクトチェックもできます。

アンタッチャブルとしてまったく学ばないのではなく、その歴史を学ぶことは有用ですね。ありがとうございます。

大変勉強になりました。ネガティブな事柄に蓋をするのではなく正しい解釈で改めて説明理解する事で誤解や偏見がなくなって欲しいです。

価値の高い動画だと思いました同和問題解消のためにこそこういう話って学校やテレビで発信すべきですね

いい動画ですよね。実は現代において権力がある人がこの流れを汲んでるってことまで繋いでほしい。

穢多への扱いの酷さが理解出来なかったんですが、納得しました。やはり時代が違えば差別意識はなかったんですね。

「歴史ヒストリア」のような、品のある動画だったように思います。しかも分かりやすく丁寧な説明もありがとうございます。江戸時代の士農工商制度はまさしく武士の為だけにメリットを見いだす為に制定された身分制度だったわけですね。戦国時代の方が穢多・非人にとって楽しい時代だったのは知りませんでした。2021年11月3日(水)

禁忌として物事と向かい合わない行為が偏見を生み誤った理解や差別を生む。学ぶ事をこれからも続けていこうと思います。

動画分かりやすくて普通に面白かった!学校で穢多非人を習ったけど差別されていたくらいしか知らず今回詳しい詳細がしれて良かった

当時の『穢れ』と言われたモノは今の価値観からすると異常なまでに拒絶していたんですね。現代で例えると穢多は専門職や技術職で非人はフリーターの様な感じなんですね。現在の穢多非人の固定概念は江戸時代に作られ、明治から身分制度が解体されたけど2世紀も根付いてしまった謂わば一般認識を取り除くのは中々難しいですね。ただ私なんかは学校で『えた』『ひにん』については部落差別として学びましたが、しかしこういった事もキチンと伝えないといけないと思うのですが、どうも創価学会方針的に自虐的というかマイナスな印象を与える様な学び方しかさせてくれないのですよね。

処刑係など人が嫌がる仕事を押し付けられた人々という認識しかありませんでしたが、穢多非人と蔑まれた身分の実情が朧気ながら見えました。大変為になる動画だと思います。ありがとうございます。

動乱の戦国時代と安寧の江戸時代では、人の扱い、身分制度の必要の有無が全く違うのですね。大変勉強になりました。

穢多は専門家、非人は自由な人、このような解釈もできるのですね!とても勉強になりました。

確かに、農民よりもレアスキル持ちだから、必要とされるエリアで優遇されるのも不思議では無いですね

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【歴史解説】戦国時代、最も恐ろし過ぎる○され方をした人物 5選!【MONONOFU物語】

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こういう戦国時代の話はすきやな。ほんとかどうかはわからんが、聞いてて面白い

弟者さんなかなかアナウンス上手いやん

日本史関連の様々なチャンネル見てきましたが、ここまで完成度の高いチャンネルは数少ないと思い、登録させて頂きました!今後に期待してます!!

一人目の織田信長がやったのって、人があまり通らない道に埋めて、通行人に一回だけノコギリで切らせて、次の通行人が来るまで放置して、ウジがわいて、痛いけど人も通らないし、死のうにも死ねなかったって日本史の先生が言ってました。しかも暑い時だったらしい。

岩村城と秋山氏&おつやの方については、「霧の城」という小説で書かれているのでオススメですね〜私はその小説から岩村城の事を知りました

この動画が急にオススメに出てきて見てみたら面白くてどハマりしました。。これからの更新楽しみにしてます💋

声が素敵です。すごく勉強になりました!!学校の歴史の先生になって欲しいくらい大好きです⸜❤︎⸝‍

杉谷善住坊は大河ドラマ『黄金の日々』で川谷拓三さんが演じ、鋸引きで処刑されるシーンは当時話題になりました。戦国時代ではありませんが大河ドラマの『炎立つ』で藤原経清も鋸引きで処刑され、演じた渡辺謙は流石の熱演でした。

善住坊の狙撃ですが、火縄銃にはライフリング(旋条)が無い為に弾丸は回転せずジャイロ効果が得られない為、20メートル先であっても『的を狙う』という撃ち方は出来ません。当時の銃器の戦術は「50メートル先の敵兵には10発撃てば大体1発は当たるので、50m先のn人の軍勢に対してはn×10発より多い数の銃弾を撃ち込め」といった古典的飽和攻撃しか出来ません。善住坊の腕が無かった訳でも仕留める時に手が震えた訳でもなく、単に「運が悪かった」だけです。しかも火縄銃は前装式(先込め)なので連射は出来ず2発発射したという事は善住坊は火縄銃を少なくとも予め2丁の火縄銃を用意していた事になります。あと動画では善住坊が放った銃弾は薬莢が付いた状態のラウンドノーズ弾(銃弾先端が丸くなっている弾丸)が飛んでいく様に描かれていますが当時は実包は存在せず真球状に近いの鉛の玉でした。

安土桃山時代は残された書物が少なく、説が多いから面白い

歴史に名が残る人物とは関わらない方が幸せだと祖父が言ってたのを思い出しました。

はじめてこちらのチャンネル見ました!歴史好きなので見ましたが、素敵なイケボで聴きやすくて良かったです!早速登録させていただきますね

春秋戦国時代についてもやって欲しいです!

善住坊の鉄砲が外れた件についてですが、「ゴルゴ13」によると、いつ来るか分からぬ信長を、火縄を取り替え取り替えしている内に、銃が温められ狙いが外れた、それは「『打ち方待て』の弾は伸びる」の言葉通りである、という説明がされていました。事実は分かりませんが。

伊達政宗の件には同情出来ます。父親を拉致され輝宗の命令とはいえ父共々殺さざるをえなかった政宗の怒りは痛いほど理解できます

冷静に考えなくても信長さん怒らせんの怖ぇな((( ;゚Д゚)))

主さんコメント返信にすごく時間費やしてるでしょう…主さん優しすぎデスワヨ

ここで出てくる武将も相当な強運の持ち主だから、簡単には殺されないんだよなぁ…

本当にやばいのは平安、鎌倉時代無政府状態っていうのがどれだけ危険なことか理解できる

畠山義継が伊達輝宗を拉致し、怒った政宗が総攻撃を仕掛けて輝宗もろとも義継を殺したという話は大河ドラマ「独眼竜政宗」でも描かれました(政宗…渡辺謙、輝宗…北大路欣也、義継…石田太郎)。大河ドラマ屈指の名場面だったと思います。

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【歴史解説】戦国最強の武将5選!圧倒的武勇を誇った男達!【MONONOFU物語】

【歴史解説】戦国最強の武将5選!圧倒的武勇を誇った男達!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】戦国最強の武将5選!圧倒的武勇を誇った戦国最強の男達!

私的に納得のランキングをとても面白く見させて頂きありがとうございます(*´∇`*) ちなみに武勇部門ではランクインできそうな逸話はないけどタフネス部門なら1位が取れそうな圧倒的な逸話を持つ日根野弘就さんをいつか取り上げてくだされると嬉しいです

義輝は強かったと思います上泉伊勢守から手ほどきをうけて塚原卜伝から一ノ太刀の奥義を受けた義輝は征夷大将軍の身でみずから剣闘した剣豪です

森長可が入っていて嬉しい。個人的には、忠誠心とかそういうものを加味して、酒井忠次や遠藤直経が好き。

姉川の合戦では、真柄直隆と本田忠勝の一騎打ちがあったという伝承があったかと思います。猛将の二人、誰も近づけない戦いだったでしょうね!

徳川四天王の一人、本田忠勝は相当強かったらしいですね。自分的には最初の人が凄いと思った。戦国時代の武将の霊を、現代の霊能者等は「落武者」などと言い表すが、如何にも、やられちゃいました…みたいな落武者の姿では、決して現れたりしないと言うことを断言しますよ。生きるか死ぬかの二択しか無い勝負の世界では、負けたとしても立派な名だたる武将の一人です。恥を晒す様な姿で現れたり、見えたりはしないという事をご理解頂きたい。 戦国時代当時の刎ね取った首はどの様に持ち帰ったのかを、自分は見た事があります。木の蔦で編んだ網の中に入れて、スイカのネットの様な姿に似ていますが、その網を馬の鐙に括り付け、10個程ぶら下げて勇ましく帰還する姿の武将の霊の姿を見たことがあります。 どの様な歴史背景の動画を見ても、この様な絵面や姿は見た事が無く、なるほどな…と、自分の目で見て納得してしまった次第でした。参考になりますでしょうか。

mononofu殿 平八郎忠勝 入れていただき御座候う。 もっと色々な武将を世にも出して下され。

聞き取り安い声でわかりやすく楽しく見れます!自分は多少江戸時代の誇張も入ってると思いますが夜襲大将塙団右衛門が好きです!

やはり自分は本多忠勝が一番だと思います。またこの5人以外にも馬場信春や山県昌景、柿崎景家や柴田勝家、前田慶次などもかなりの猛将などです上げたいです。

上杉軍では知名度は然程高くありませんが甘糟景持も猛将です。第四次川中島の戦いでは殿を務め、武田軍が謙信と間違うほどの活躍で甲陽軍鑑でも絶賛されています。

個人的に伊達成実や赤井直正、志田親次、戸沢盛安、真壁、磯野とかも入れて欲しいかなぁ~

前田慶次は、最後まで従った部下の野崎が「心逞しく猛将」と慶次の事を評している。武勇・教養に優れたと評される慶次ですが、京の連歌会に出席し当時の高レベルの文人達と交流が持てる教養の持ち主で、細川幽斎を自身が主催する連歌会に招待出来るインテリです。慶次の評には、信憑性の高い部分が含まれていたと思います。また、慶次所用と伝わる「皆朱の具足」は、「皆朱の槍同様通常の武者では、着用出来ない」と指摘される甲冑があります。(赤備えでも皆朱は貴重)部下からの証言や諸書での評、皆朱の具足など一定の武勇があったことが窺えると思います。参考 上杉謙信・景勝と家中の武装(前田慶次の甲冑が紹介)    前田慶次 武家文人の謎と生涯

是非とも戦国最強の軍師を特集してほしい。個人的には黒田官兵衛、竹中半兵衛は入ると思います🤔

平八郎1位は嬉しいし、小島、真柄 、可児いるのも嬉しい。他の方はどう思おうと自分の中では最強は新納忠元。

百戦錬磨の武勇伝と共に体の傷跡を誇る豪傑も格好良いけど、怪我をしたことが無いというのは凄すぎる。やはり本多忠勝は別格です。僕が一番好きな戦国武将です。信長の野望でももっと強く有るべきだと思う。

本多忠勝の猛将も好きですが知略の武将も好きです竹中重治、黒田官兵衛、服部半蔵、山本勘助、直江兼続、山中幸盛など

最強は立花宗茂でしょう。秀吉に本多忠勝に匹敵すると言われ、最強島津軍を10分の1の兵力で撃退、30万の明軍に3000人で突撃して撃破とか武勇伝が凄すぎる。

身の丈180㎝を超える小島弥太郎と130〜140㎝ほどしかない山県昌景との一騎討ち 山県昌景ってどれほど腕っぷしの強い武将だったんでしょうね

本多忠勝を除いては普段名前が上がらない人物ばかりだったので面白かったです、テレビでよく紹介されるのは真田信繁やら上杉謙信やら歴史をよく知らない人間でも知ってる人物ばかりですよね。

本多忠勝は 蜻蛉切りの長さで敵方からも一目見てあそこに忠勝がいると分かったそうです だから誰も近づかない まさに最強ですね!

これは難しいランキングですよね。個人的には納得だったんですが、忠勝はいらなかったかもと言う印象です。恐らく有名どころは指揮が凄かったんじゃないかなと思いますから、可児とか真柄は納得です。自論ですが忠勝は配下もかなり優秀だったんじゃないかなと思います。こういう無双系は敗け戦ほど本領が発揮されるんで義輝もよかたかも

【歴史解説】切腹の段取り・作法!閲覧注意!本当はこうだった?切腹の段取り・作法とは?【MONONOFU物語】

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〇〇5選!でもいいですが、他でもいろいろしてるのでこういう企画の方が非常に面白い。今後こういう企画楽しみにしてます。

すごく勉強になりました。

知らなかった歴史を勉強させて頂きました

三島由紀夫の時も介錯がなかなかうまくいかず、何度目かでやっと成功したそうです。

切腹するする人介錯人も相当な覚悟が無いと出来ない事で昔の武士の度胸は凄いなと思つた

血なまぐさい話だから苦手な人はプラウザバックを、とは言わず気をしっかり持って見ろというスタンスが好きです

映画「日本で一番長い日」で阿南陸軍役の三船敏郎は腹を切った後、短刀を首の頸動脈に当て自ら介錯。圧巻の切腹シーンでした。

切腹文化が花開くとか恐ろしいパワーワードだ…

ケジメ、責任の取り方が凄い…。昨日選挙だったけど政治屋に教えてあげたいね。

今の時代なら何人の議員が腹切しないといけないのかと思う

日本人にとって、切腹は決して遠い昔のことになってはいますまい。よく切れる短刀は、無痛短刀などと言われるものもありますね。古武道の居合道には、介錯の型がありますが、型通りにすると驚くほどきれいに切れます。もっとも、相手は藁束ですが・・・

清水宗治の切腹がかっこ良すぎたんだよな…サッパリしてるそして大西司令官は自分には楽になる資格はない、と解釈も断ったとか2人とも”漢”だよな…

凄まじい習慣ですね。普通の神経では無い、狂気の沙汰。

その家々によって、「うちは一文字切り」「うちは十文字切り」という流派みたいなものが伝わっています。と言っても、十文字切りは難しいので、右端の最後を上に切り上げるだけで、「十文字切り」と見做されたようだ、とも聞いています。

現代に生まれてホントに良かった。。。

最近でも年に何回か切腹未遂で救急病院に運ばれる事例があるそうです…

会津藩の少年は藩校・日新館から家に帰ると、必ず切腹の作法を行ったそうです。それは士道廃れた幕末になっても続いた。「ならぬことはならぬもの」の会津士魂は令和の今でも生きている。

本来の日本人の精神力を見た気がする

切腹でさえも、色んな配慮を考えて作法として構築する日本人の賢さよ。これに限らず様々な物事に対して、綿密にシステムを構築し、何百年とかけてそれを遵守改良していく大和の精神。こういう積み重ねがあったから、あの大戦で大国を恐れさせたんやと思うと泣きそうになる。歴史は今は過去になってしまったが、それでも天皇制だけは続くことを尊く思わなければ。

大西瀧治郎中将の切腹は見事だと思います。ある書物だと16時間苦しみ抜いて絶命したと書いてありました。戦後は三島由紀夫だけですね。

【歴史解説】戦国・最悪の卑怯者5選!! 卑劣な振る舞いで歴史に名を残した男たち!戦国・最悪の卑怯者5選【MONONOFU物語】

【歴史解説】戦国・最悪の卑怯者5選!! 卑劣な振る舞いで歴史に名を残した男たち!戦国・最悪の卑怯者5選【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

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荒木村重のように逃げ回るも、最後の戦いで勝って皇帝になったのが漢の高祖(劉邦)つまり「勝てば官軍負ければ賊軍」なのである

こういう視点で見ると、また面白味が倍増です❗ナレーションの声が素敵です❗

卑怯と謀略の境界が難しいですよね。西の信長ともいわれた宇喜多直家のように謀略も極めれば実力として認められる例もありますし。

武士を現代の政治家と同じものと考えれば、卑怯未練なのは納得できるでしょう。

織田信雄が出てきましたが、信長の弟の有楽斎もかなりの卑怯者ですそれでも大名として生き残れたのは織田家の血統だったからではないか

このように400年後も嘲笑と侮蔑の対象となっている事を考えると、末代までの恥という言い回しもあながち大袈裟でもないようですね

手段を選ばない事を卑怯とは言わない。太刀への細工は褒められるべきものだ。兵は詭道。

現代の道徳観や正義観では、到底図れない時代だったわけですが、とても興味深い内容です。ただ義に殉じる武将もいたはずですから、“武士の本懐”、“武士の誉れ” からすれば、当時もそこそこ(かなり?)悪評だったと推測します。

仲間の取った大将首を自分が取ったかのように申告した奴は本当に卑怯ですね。

荒木村重の時に黒田官兵衛を幽閉した事を説明して欲しかった

不義と卑怯はだいぶ違いますね

取次としての信雄は有能でしたね。秀久はお気に入りというより、子飼いですし。市松(福島正則)虎之助(加藤清正)のように秀吉の家族みたいなもんですからね。

この時代情勢を見極めていかないと生きて行けない。ある意味生き残る為の考えや術を追求していたのではないだろうか?

仙石秀久、いくら敵が強いといえ見捨てるのは良くないな、軍艦をまず誤った

家名を滅ぼしたものはみんな無能家名を残したものはみんな有能戦国大名の評価はこれだけでいい

本能寺の変で信忠が自害しなければ、織田家が天下を取れてたと思う

淀殿は織田の血筋への執着の為に信雄を重用した事が仇となったのですね…

仙石荒木以外は戦国武将としては至極当たり前の行動だったかなと卑怯卑劣というのなら金鉱夫に賃金払うの渋って金鉱に生き埋めにした武田信玄のほうが遥かに卑怯だし当時は命は軽いものって価値観だったし

穴山梅雪は武田一門衆だったが信玄の後を継いだ勝頼を見下して、勝頼を見捨てて家康に降り本能寺の変後に家康とは別ルートで堺から脱出したが落武者狩りで殺されたのは因果応報

仙石秀久はマンガで初めてその存在を知ったのだけど、戦国時代の名のある名将との戦いで生き残ってるのが、正直すごいと思ったわ。武田信玄軍団・上杉謙信軍団とガチでやって生き残った武将は多くないだろ・・マンガは脚色もあるし事実はどうだったかわからんけど、おもしろい武将もいたもんだと・・

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