【歴史解説】MONONOFU物語(おすすめch紹介)

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【歴史解説】戦国の醜男!醜男でも武勇は一流!【MONONOFU物語】

【歴史解説】戦国の醜男!醜男でも武勇は一流!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

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伊達政宗は、菩提寺の復興工事の際、墓を発掘調査され、遺骨から身体測定された数少ない武将の一人。推定身長は159㎝前後、むしろ当時の日本人の平均身長がそうだったので現代の感覚で小男とは言い難い。

勘助見てたら、軍師失って負担が増え破滅に続く方向に行ってしまう大名って結構いるよな、今川義元も雪斎和尚が存命なら桶狭間での討ち死にはなかったって言われてるし、武田信玄も嫡男義信との諍いもうまくまとめてくれてただろうし、他にも色々あったよね、

時代は違うが、義経もよく言われてるようなイケメンではなく出っ歯で小柄だという。でも義経もここに挙げられてる5名も戦で功績を残している点は醜男であっても特筆されて然るべき。

山本勘助は、江戸時代以降の絵巻などで人気になったけど、同時代の史料だと甲陽軍鑑の記述でしか登場せず、最近まで実在が疑問視されてきた。最近になって山本勘助の実在を裏付ける歴史史料が発見されて再評価が進んでいる^^

今回のは見応えありました^^

見た目がちょっと個性的なだけで雑な扱いを受けるのは、今も昔も変わらないみたいですね。前世でいい行いをしたから美人に生まれ、悪い行いをしたから醜く生まれるって発想は面白いなと思いました。

武田家臣団は中身が漢がよく揃うなぁ…信繁は初めて知ったの小説だけど絵なんて無くても生き方だけで泣ける。さらにあとがきにあったけど討たれたあとの逸話でもう一回泣かせに来ると言う二段構え。

捨てる神有れば拾う神有りに救われた勘助。今も昔も世の中捨てた物では無かったんですね。外見と中身の両方を知ることが正しい評価に繋がるんですね。

醜男(しこお)1.みにくい男 ぶ男2.強くたくましい男

最後まで怒られる秀康が気の毒で。

猿、禿げネズミ、醜男と散々な言われような羽柴筑前守のことも忘れないであげてくださいw

5人とも生き様がイケメンなので、ドラマ化されればイケメンがその役を務めるのは当然でしょう。九州を舞台にした大河ドラマが見たいです。島津・大友・龍造寺の絡みとか、たまらんです。

戦国武将はイケメンじゃなくてもほぼ確定で結婚出来たからなぁ…羨ましいわ

醜男でも外見じゃなく中身を見た武田信玄は凄いって事?🤔

本州の熊はツキノワグマだと思うので、成獣でも1.5m程だと思われ

見た目はアレでも、やっぱり男は中身が大事でしょう!そんな当たり前のことを感じさせてくれる動画でした。

戦国時代の人は基本的に身長は低めですからなー

もし、結城秀康が徳川の跡目を継いでいたら徳川家はどうなっていたのかというのは気になる。。。

昔から、信繁は人懐こそうな貧相なおっさんが物凄い武勇を示したからこそカッコいいと思ってました。

真田信繁(幸村)は、確かにお金に困っていて大坂の陣の時も豊臣は現金で徳川は領地の約束だったとか。家康を倒したいとは思っていたとは思うけど、現金の力が強く豊臣に付いたのが事実でしょうね。豊臣のため打倒家康は後付の理由でしょ?

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【歴史解説】不自然な最後を遂げた武将 5選!恨みか病死・・それとも?【MONONOFU物語】

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加藤清正が死んだ前後に池田輝政や浅野長政も不可解な病死をしているので毒殺説が有力ですね。

秀秋は肝硬変で亡くなったのはほぼ間違いないでしょう、関ヶ原での裏切りの因果が2年後にやってくるとは…。直政は関ヶ原で島津と対峙した際に狙撃されその傷が元で、約一年半後に亡くなってるけど、些細な事で部下を手討ちにしてたし怨恨も有り得るのかな🤔

直江信綱、彼も謎の死を遂げた人物として上越市の歴史博物館で紹介されています。その後、未亡人となった信綱の妻を娶って直江家を受け継いだのが兼続らしいです。その辺りも紹介して頂けたら良かったです。

島津四兄弟の末っ子、島津家久も謎ですよね。耳川の戦いや戸次川の戦い、岩屋城の戦いで活躍した彼も、あっけなく亡くなりましたから。

秀長は「生きていれば秀吉様も・・・」とよく言われている様に、敵対勢力とすれば居て欲しくない筆頭だろうからなぁ

加藤清正の御子孫は江戸時代に大庄屋をやってましたね。細川忠興と細川ガラシャの次男の子孫も大庄屋をやって「長岡」と名乗ってますね。

小早川秀秋は秀秋の亡くなる3日前に秀秋と一緒にいた兄の木下俊定が亡くなっているのもポイント高い

私は40過ぎで突然重い便秘になり、浣腸でも出ず、入院して薬療法で何とか出て無事退院出来ました。しかしその後直ぐに盲腸が膿んで破裂、緊急手術で回復しました。多分、戦国の時代ならどちらの要因でも死んでたでしょう。…という事で、酒や暗殺以外でも人は簡単に死んでしまうのでは?…とも思います。

武田信玄→信長を攻めたら病死 上杉謙信→信長を攻めたら病死

島津家久も最初に紹介された豊臣秀長によって食べ物に毒を盛られ毒殺されたと。でも病死説もあるから実際はどっちかわからんな

加藤清正 浅野幸長 前田利家の息子と時期的に豊臣方大名が突然死というのは…。

戦国時代の男性の平均寿命が62歳というのことで、意外と長生きだなぁと思いました。てっきり50代前半くらいと思っていましたので。

江戸初期におきた猪熊事件について特集してほしいです

みんな分かりやすい死因じゃないか梅毒の流行とその脅威を考えないと暗殺されたみたいな話を納得しちゃうから気をつけるんだ

小早川秀秋は「斬り殺そうとした農民の反撃で股間を蹴られて悶死」説が一番しっくりくる

今川氏輝の死も 謎めいている。もし氏輝が死ななかったら、義元は歴史の表舞台に出てこなかっただろうし。

加藤清正とか結城秀康とかは 徳川秀忠暗殺説が 一番しっくりくる

豊臣秀長…やっぱり五大老のあの方だと思います…。関ヶ原の戦いも、めちゃくちゃ準備してたし。

戸沢盛安と十河一存や織田秀信と丹羽長秀あたりも気になる

家康に対する悪意が凄いw

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【歴史解説】しくじり大名 松平忠直 日本史上類例のない暴悪!【MONONOFU物語】

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しくじりなのか運が無かったのか…今回も最後まで楽しかったです!

越前といういわくつき領地(昔から諍いの多い土地柄。朝倉や柴田など)と浅井の血筋の嫁(嫁のきょうだいも何かと不幸体質)が合わさったかもしれませんね。忠直改易後も越前や妻子の周辺では諍いが多くて家格も外様扱いされた時期もあったし。

今回も、ノリノリの動画とナレーションですごく面白かったです♪しかし、子沢山だった家康の直系でも、生き残りが大変だったんですねw追放された旧権力者には、悪行の報いがつきものですが、夏の桀王や殷の紂王以来、武田信虎、豊臣秀次など、妊婦の腹を割いたという逸話が、判でついたようにありますが、どうも陰謀のテンプレっぽいですね(´・ω・`)

04:12 やめて、座ったまま突撃しないで!ツボって笑いがw

大分市には忠直公を偲んで作られた一伯という求肥の和菓子があります。忠直自身には加増は無かったが、数年後次弟忠昌には越後高田25万石が与えられています。

忠直だけで無く忠直の息子光長や忠直配流後に越前松平を継いだ忠直の弟の子孫も色々あって領地を大幅に減らされた。

将軍兄系が残っているというのはやはり邪魔だったんでしょうね。実際には初花も現存しているし忠直改易の前年には本多正純が失脚させられているのでこの時期に幕府に権力闘争がありその為に神輿になりうる将軍兄系の越前松平家が邪魔になったのではないかと個人的には考えています。まぁ忠直本人も大概っちゃ大概なんですけど(;・ω・)

松平忠直は、名君だったって話もありますよね〜。秀忠は、能力そんなに高くない(他の兄弟に比べ平凡、悪くはない)から家臣達が担ぎあげるのを恐れたのかな?こういった個人を10分ちょっとの動画にまとめるの大変そうだけどちょうど見やすい長さで内容もわかりやすいので好きです。がんばってくださいm(_ _)m

初花は一国にも値する名器とはいえ、命がけで戦った家臣に報いようと思ったら、粉々に砕いて分ける以外に家臣に褒美を与えようがない

結局は愚人でしょう。ここまで数々のしくじりが全てでっち上げだとは考えにくい

葵徳川三代で俳優が演技上手かったな〜

しくじりと言うよりは、家臣に恵まれず、不幸な大名という感じでしょうか。お家騒動しかり、論功行賞しかり、人間不信になって、自暴自棄になっても仕方ないかなぁ。府内藩預りとなって、5千石もらって、逆に幸せだったかもと思ってしまいます。

大国を領有していたのに、改易処分を受けて不遇な生涯を終えた所が松平忠輝と似ている

父の結城秀康は徳川秀忠や上杉景勝とのエピソードがあるように武闘派でも物事の分別はしっかりしていたが忠直はそこのところが足りなかったのかも知れん

忠直は家臣の上意討ちが多いんですよね・・・。それも大坂の陣以前から合戦にまで及んで二人の家老を討ち果たしてますしね・・・。越前から入封される頃には創業の家老は軒並み消えてたっていう凄まじい気性の激しさで・・・・。ただ、大分に流されたのは九州の大名の監視とかいう説もありますが(細川や黒田のどこに謀反の意思があるのか荒唐無稽な話ですが・・)

歴史は勝者が作る

秀康と秀忠の兄弟はそんなに不仲では無かったみたいだけどね

忠直の大阪の陣での活躍ぶりすごすぎ松平忠直が真田幸村隊を押し返して討ち取ってなければ、そのまま真田幸村が徳川家康を追撃して討ち取ってたんじゃ

真面目で一生懸命頑張ったのに、報われない忠直が可哀想すぎる😭やっぱり結城秀康に対する秀忠の屈折した思いがこのような悲劇を生んでしまったのではないでしょうか…😢

いや、天下の三大茶入れ…最高の褒章やん…数寄に疎すぎませんか

【歴史解説】戦国・最高の軍師5選!智謀と策略で戦いを勝利へ導く軍配者たち!!【MONONOFU物語】

【歴史解説】戦国・最高の軍師5選!智謀と策略で戦いを勝利へ導く軍配者たち!!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

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最近チャンネル登録させて頂きました。どの動画もナレーションの方がプロかと思うような良い声、聞き取りやすい声で動画をより素晴らしいものにしてますね。これからも戦国時代のお話しを楽しみにしてます!

個人的に好きなのは大友宗麟の軍師角隈石宗自らの呪術で意図的に雨を降らしたり大量の刀を空から降らしたりあくまで伝承だと思うが追記紹介されていました11:27からです

軍師の定義を参謀役と規定するなら片倉景綱、直江兼続、宇佐美定満、沼田祐光、本田正信、甲斐宗運も名軍師と言えるでしょう。太原崇孚雪斎はもう殿堂入りですw

あとは小早川隆景や朝倉宗滴も軍師として優秀であったと思います。

山本勘助大好きです。高遠城にも、勘助丸という名前の曲輪が残っているので確実に実在していたと思います!

MONONOFU物語さん お疲れさまでした!戦国時代に於いて、軍師(軍配者)はハッキリ軍師(軍配者)と言える武将はかなり少ないと思われます。真偽は別として『山本勘助』は足利学校で勉学したと云う噂があります。足利学校は仏教以外の軍事・忍び術(諜報)など兵法に関する事を無償で教える学校でした。『山本勘助』が最近まで実在の人物ではないと考えられていた事に自らの存在を隠していた意図が感じられますね。ただ、第四次川中島合戦は「しくじり軍師」です。コメントに『太原雪斎』を取り上げて~という声がありますね。第二段のついでで構いませんので伊達政宗の側近『片倉小十郎』を取り上げて下さいませ。

個人的には太原雪斎😘今川義元も凡庸ではないと思っていますが雪斎が存命なら信長は危なかったと思います。

一番純粋に軍師らしいのは竹中半兵衛もっと長生きしていたら豊臣家の運命も変わっていたと思う

両兵衛のイメージ強いな〜〜

立花、高橋、そして石宗、大友家にはこれだけの優秀な家臣が居ながら当主がアレではどうにもならん😔軍師といえば太原雪斎も最高の軍師かと✨

天気が味方するわけじゃなくて天気に合わせて作戦計画練り上げたからですよ😎👍❗️

半兵衛が早逝せず、長生きした日本史も見てみたかったですね。天才同士リスペクトし合い協力するのか、やはり(両雄並び立たず)で互いに半目になり、最後には決着をつける事になるのか? いやー、どうなるにしろワクワクしますね。両雄長生きし活躍した場合、歴史が秀吉〜家康とはならず大きく変わり、(天下分け目の両兵衛の戦い)とかあったりするのでは?w

中国の軍師は投資家。戦争に小技など通用せず人数勝負が基本。そこで穀物相場で大量の穀物を入手できる人間が一番の軍師になる。軍師は解雇されても生活に困るどころか金持ちのままでいる実力者。

太原崇孚雪斎も入れて!

いい軍師を見抜き活用した武将こそ褒められるべきですよ。そもそも天才的な軍師も数多くいたことでしょう。トップに立つほど軍師の重要性はわかるはず。勝つ、それも被害を少しでも少なくして。でも軍師はただの知恵袋。それだけで人はついてこない。やっぱ信長、秀吉、家康はどこか違ったというか、天下を誰かに収めてもらい戦乱のない世を願う人たちには感じるものがあったのでは?ここらが日本の凄いところでしょうね。自己保身まみれのひとですら、どこか平和を願う気持ちはあったのかな。戦乱という悲惨な現実はしっかり見る、経験した方がいいと思う。今のマスゴミのように、こういう悲惨な現実を意図的に隠す、無視しており、これではダメだ。

小早川隆景や明石全登を入れるべき。

戦国時代の倫理観で選べば人物や順位が変わるかもしれませんね

なかなか有名どころでしたね!戦国時代の頃は、軍師はなんと呼ばれてたんでしょうね?(軍師は後世の呼び名らしいので)兵法者?・・ないか・・。個人的には、小早川隆景真田幸隆・昌幸親子←幸村じゃないw朝倉教景多目元忠が好きです。ご紹介の武将に比べたら地味ですけどww他の説等や意外な一面も紹介してたりで面白き( ꈍᴗꈍ)

直江山城守兼続・片倉小十郎景綱を取り上げて欲しいです。

最上の名前は山形・秋田の海側では、知らない人が多いんですよ🐸そもそも殿様とか武士よりも豪商がいらっしゃいましたから🐸山側というか内陸の方だけですね。

【歴史解説】先鋒・殿(しんがり)は武人の本懐!ところで殿部隊って何?【MONONOFU物語】

【歴史解説】先鋒・殿(しんがり)は武人の本懐!ところで殿部隊って何?【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】先鋒・殿(しんがり)は武人の本懐!ところで殿部隊って何?

たくさんの戦場エピソードが満載で大満足ですね。ナレーションも良かったです。次の動画も期待してます。

こういう、縁の下の力持ち的な話は大好きです♪殿戦が不名誉だと思う武将は、結局討ち死にして、大切だとわかっている名将ならば、光秀や幸村(あえて)のように支えきったんでしょうね(´・ω・`)

「かかれ柴田、退きの佐久間」ですね。先鋒には一番頼りになる勇将の柴田勝家退却時に一番冷静で味方の損害が最小限の佐久間信盛

殿とは 死を覚悟しなければできない 役目。 捨て石ではなく 大変 名誉な役目です!

三方ヶ原で家康を逃がす為に身代わりとなり殿を務め討死した夏目吉信の子孫が夏目漱石と言われていますね。

武田三弾正の一角「逃げ弾正」こと高坂弾正忠昌信(春日虎綱)は外せないとは思いますが、そこに焦点を当てた戦いが無いのも残念ではありますね。

死力を尽くして戦った者同士だからこそ、尊敬の念や娘を託す信頼が生まれる日本の武士道はカッコイイ

池田勝正に言及されてるのは嬉しい

自分の娘を敵とはいえ信頼し託す方、それを受け入れる方どっちもカッコいいわ血筋を絶つため女でも殺されて当たり前の時代にこういうやりとりはなかなかできることではない

殿といえば前田慶次や鬼庭左月斉、島津豊久や三方ヶ原撤退戦での徳川家臣団が自分の中では印象的ですね!

後ろ向きに戦うのは困難ですもんね秀吉が信長家臣団内で一目置かれ発言力が増したのは金ヶ崎撤退での殿を立候補したから。それまではバカにされていた。武将内での尊敬を得ることはできた。助けてくれたのが徳川家康

前田慶次は5人で100兵倒したってのもありますよね

0:17 合戦前に調略で寝返った隊に先鋒を命じられる場合もありますよね。

長谷堂城からの直江兼続の撤退戦について最上義光は奥羽永慶軍記に『直江は古今無双の兵なり』と称賛していますが、伊達政宗は桑折宗長入道に宛てた書状で『最上衆ヨハク(弱く)候て皆討ち果たさず無念千万に候』と最上をなじっています(苦笑)まぁその政宗も上杉領の福島城の攻略に失敗して逃げ帰っているんですけどね😅

やっぱり島津の敵中突破と捨て奸が断トツでカッコいい

いかん、仕事しながら聞くことにハマりそう

関ヶ原で島津軍は京大阪方面が敗走中の西軍と寝返り中の秀秋軍で塞がれていて、家康本陣の向こうしか逃げ場が無かったようですね。その後山中を抜け大阪城から島津方の人質を救い海上で黒田如水から逃げつつ薩摩に到着!! 長い!!

信繁イケメンすぎまず戦に出たのが大阪の人入れて3回くらいなのに隙の無い撤退するって飲み込み能力に優れてたんだろうなしかもそんなに戦に出てないのに戦上手の伊達政宗にも負けないって俺は真田信繁のそこに引かれた

いい声ですね。聞きやすい。

一番乗りや一番槍の考えは現代でもあるそうな…。

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