【歴史解説】本当にいた!?実在した伝説の忍者 5選!【MONONOFU物語】
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こんばんは。初めてコメントさせて頂きます。とても面白い動画でした。他の動画もゆっくり時間をかけて視聴させて頂きます。楽しく勉強になる動画をありがとうございました。
織田信長軍団にも滝川一益という忍者の棟梁がいましたね。また別の動画で紹介して頂くといたします。東京に住んでいる所為か昔から『風魔一族』に興味がありまして、個人的にも調べていました。通説では、武田勝頼との黄瀬川での戦いに風魔一族の活躍を最後に小田原城が滅ぼされた後に、盗賊となって一族は江戸で捕縛され全滅した?ちょっと待った~!と言いたいと思います。実は豊臣秀吉の小田原攻めの時、五代目風魔小太郎だけが小田原城に居残って他の三百余りの一族は茨城県の逆井城に居たらしいのです。ですが、この逆井城も豊臣軍に落とされてしまい現在の千葉県柏市の逆井に移ったとの事です。そして、その後江戸時代は水戸藩に仕えて諜報活動を隠密に行っていたみたいです。肝心の風魔小太郎は京都や名古屋方面で芸事などを行いながら諜報活動をしていた?(諜報活動は文献に残らない)ですから、通説の江戸市中を荒らし回ったのは創作だったと考えています。
40年以上前の漫画で読んだ柴田錬三郎原作の真田十勇士では三太夫こと百地丹波は服部半蔵に買収された部下達に襲われるも豊臣家を守る知恵を借りるために真田幸村が差し向けた猿飛佐助に一命を救われたもののかつての部下に襲われたことで伊賀忍軍の未来を憂いて服毒自殺していました。当時まだ幼稚園児だったのでフィクションとか全くわからずこの動画を見るまでは大同小異で多分仲間に裏切られて死んだのだろうくらいにしか思っていませんでしたが…やはり忍者の最後というのは不明な部分が多いんですね(笑)
ついに忍者登場ですね♪ 世界で興味津々なのに、記録がほぼ皆無だというジレンマで、司馬遼太郎氏も、飛び加藤と果心居士くらいしか作品にできなかった(フィクションの「風神の門」除いて)、戦国のブラックホールロマン(´・ω・`)!新チャンネルも、おめでとうございます♪ さっそく登録しました^^
情報収集や大名達の監視という意味では、柳生藩主となった柳生家の方がよっぽど忍者っぽい仕事をしてるんだけどね。
忍者は素顔、名前等を一切公にしなかったらしいです。ってことは現代に伝わっている忍者は実は…?
♪闇に走る 赤い仮面 それは 正義の印 この世乱す 無法者 飛騨忍法が 許さない 空を飛ぶ 悪を討つ 必殺手裏剣 シュッシュッシュッ 嵐呼ぶ 稲妻に 運命(さだめ)の刃 光る 何時でも 何処でも 力の限り 熱い心で 命を賭ける その名は 赤影 仮面の忍者 赤影 仮面の忍者 赤影
風魔小太郎は 実は優しげな小男だった って説もありますね
忍者は普段は山の中で訓練をして、よっぽどの事がない限り山から降りてこなかったらしいです。
あれ?服部は鬼の半蔵の父 半蔵保正が家康の祖父清康公に仕えたのが始まりで、半蔵正成は三河生まれのバリバリの侍で忍者ではなくて槍の名手で、伊賀越えが縁で家康についた伊賀忍者たちを お前が仕切れ!と命令されて間に入っただけじゃなかったっけ?服部と伊賀忍者との関係も部下とかの関係ではなかったはず、半蔵正就が部下扱いして反抗されそれが原因で改易でしょ
滝川一益さんがてっきりくるかと思いましたが、残念❗️(仕方がない)😅忍者ハットリ君では伊賀と甲賀はバチバチのライバル関係で描かれていますが、実際の伊賀甲賀の仲は悪くなかったみたいですよね、江戸時代の時に忍者の窮状を幕府に訴えた際は連携取ってたそうです、ただ残念ながら実を結びませんでしたが…。😢あと半蔵さんは、確かストライキを起こされたんですよね。(笑)😅
伊賀には何百年を超え生き延びた忍の子孫がまだ存在してますよ。
助かります❤️
果心居士が出て来ないのが残念
服部半蔵はそもそも上忍で忍術使いではないです。正成だけが服部半蔵ではなく何代も継いでます
牛を飲み込むのは催眠術だったようで、ある時、路上で同じパフォーマンスをし正面にいた人達は驚いていたが 別角度から見ていた木の上にいた男にはかからず 男「ただ牛を撫でてるだけのインチキだよw」と罵ると 加藤「今からあの上に(男がいる位置)花を咲かせます」 すると男が一輪の花に変わり人々が驚嘆し しばらく眺めていると。。。それは生首になった男の姿でした・・・
武田軍にだって城の水源破壊をする百足衆もあります
松尾芭蕉が実は服部半蔵説も面白いよね
実在した石川五右衛門を出すかと思ったら出さなかった。あと、服部家は半蔵の従兄弟とも異母弟とも言われる系統が江戸時代は藤堂家の家老として伊賀の大半を支配したんだけど、そこは語らないのか?
ナレーション女の方の、声も落ち着いて動画見れますねー。
【歴史解説】鎌倉殿の13人!鎌倉武士団激動の時代をやさしく解説!!【MONONOFU物語】
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20:46「執権」は役職名ではなく、政所別当と侍所別当を兼任するもの、つまり「幕府権力を執行する者」という意味で慣例的に呼称されるようになった用語の筈です。
そこらへんの歴史がよくわからないので、とりあえず平家 源家 北条家 朝廷に分けて そこにキャストとキャストの簡単な説明を書いてみました。あとはドラマ観ながら勉強します!
桜田晋也「尼将軍北条政子」では、政子、義時が超悪者に描いてあって、元々小勢力であった北条氏が頼朝の兄弟、子供達、有力御家人を罠に嵌め粛清していく過程が書かれていて面白い。
この時代のことは永井路子さんの「つわものの賦」などが分かりやすく面白く読めますよ。
義時は江間氏に出されていたので、江間氏代表といううまい名目で13人合議制に割り込めましたね。いきなり北条氏2人では風当たりがもっと強かったことでしょう。
アニメでも平家物語やってるし、戦国幕末以外としても流行って欲しい
承久の乱で日本がスクランブルされてその後の日本の原型ができた。後鳥羽上皇を隠岐へ流し、朝廷側から分捕った荘園を鎌倉武士に分け与えた(いわゆる新甫地頭)。武田も毛利もこれをきっかけに、西日本に進出した(武田は甲斐の国から若狭、安芸に分家化)
このあたりの時代のことはよく知りませんでしたが、この動画で学習できました。分かりやすくまとまっていて、大変助かりました。北条政子は静御前の件でも妥当なことを言っているし、なんで大悪女扱いされるのか、よく分かりませんね(苦笑)。
三谷幸喜が鎌倉武士のゴダゴタを取り上げドラマ化する、着眼点が違う。一般的な歴史ドラマは何度も繰り返されてインパクトがない、どんな野望で細かく物語が進んでいくのか・・・同じ権力同士が話し合っても物別れ、圧倒的に強い人(技量)がいない限り平和が来ない、むしろあら際が絶えない。会社組織をそのまま当てはめてもいいくらい・・・特に大企業。
次の大河が楽しみなだけになかなか楽しめました。
難しい歴史的政治を難しいところやわかりずらいところを省略するとこういう説明になる。難しいところは源氏と平家の戦いみたいに言うけど、北条氏は平家だし、源義経軍は木曾義仲(源氏)と戦い京から木曽軍を追い落としたしね。あと、義経が平家討伐の大勝利を挙げたのにも関わらず、なんで頼朝が激怒するほど義経を憎んだのかを説明してない。それに頼朝の不審死も?北条執権体制を盤石にするためか?
非常に面白かったですよ。
分かりやすかったです。北条義時は暗殺の黒幕みたいなイメージが強かったんですけど、父親よりも大人だったんですね。おかげで来年の大河ドラマが楽しみになってきました
義時をだいぶ美化してると思いました。畠山重忠討伐にしても実朝暗殺にしても、義時が絡んでいるとされていますし、和田義盛を挑発し陥れた和田合戦の事などスルーされていますね。重忠の領地も義盛の領地も義時がちゃっかり手に入れてますし、義時は面倒な父を追放し、その後は着実に権力を手に入れていきます。才能ある政治家であり、したたかな切れ者であり野心家です。残念なことに、最後は恨まれて毒殺されたといわれています。
大河ドラマ楽しみにしているので、いい勉強になります☆
面白かったでござる。鎌倉時代はあまり興味が無かったけど、見てみようかなこの大河。🙏
鎌倉殿の13人は楽しみである!
凄くわかりやすくて見ていて楽しかったです😊いつもわかりやすく楽しめる動画をありがとうございます。イントネーションの事で失礼だのとグダグダ言ってる方がいるけど、そういう事を気にする方が許せない気持ちになるのはわからないでもないけど、そもそもこの動画と同レベル若しくはそれ以上のわかりやすさで解説動画を作れるのかって話。耳障りとまで言ってる方がいるけど、そういうコメントは目障りで不快になりますね。広告無しにする為にプラン加入していなければただで見せてもらっているんだから偉そうに吐かしてるんじゃないよ!楽しい動画の後に不快になるコメント見てしまって満足していた気分が台無しですね。本当に気分悪い…
いつも途中から見るのをやめる大河ですが、久々に重厚感のある恐い大河を見てみたいものです。
鎌倉殿の13人は承久の乱まで物語だと思うがまだ源実朝、北条泰時、後鳥羽上皇の配役が決まってないね。
【歴史解説】戦国の傾奇者5選!おのれの意地を突き通した快男児たち!【MONONOFU物語】
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水野勝成は大垣城攻めの際に手に入れた短刀に自身の官位から日向正宗と名付けたり、天草島原の乱では75歳の高齢にも関わらず九州大名以外で唯一出陣したりしていた所領であった福山藩の治世は良くて石高10万石に対してその豊かさは倍の20万石相当とも言われた
織田頼長が大坂夏之陣で自分を総大将にと諸侯の前で訴えたのは、父である有楽斎が豊臣が敗ける事が分かっていた為に頼長をそそのかし、案の定、誰からも相手されず、責任を取って大坂城から息子共々脱出(逃げ出した)したと言う話があります。
名古屋山三郎って剣の腕もあったとの事ですが、亡くなった時は見事な唐竹割りでやられたって話ですよね。相手の方もさぞ強かったんだろうなぁ。
水野勝成は息子の成貞、孫の成之(十郎左衛門)も傾奇者で、子孫である天知茂さんが孤独なヒーロー役や悪役を演じることが多かったのも因縁めいたものを感じます
今回の5選も楽しく見させてもらいました。前田利家や水野勝成、主君宇喜多秀家に直諫して殺されそうになった花房職秀には魅力を感じるのですが、あとは、ちょっと・・・。凡人の自分には難しかったです。
傾奇者の代名詞と言えば慶次郎だけどその慶次郎は利家の影響で傾奇者になったんだよね
素敵なお話ですね
2:37 のエピソードはこちらのチャンネルでも上げられておられますが、笄は妻、まつの親の形見だからだったと思います。そうすると利家としての立場は絶対に曲げられなかった筈。
「借金の催促はやめたれよ」と言った”加賀百万石の祖”、前田利家。当時じゃ珍しい算盤を、いとも容易く理解して使いこなしたそうな
利家の息子もわざとバカ殿を演じることで家を守るという逸話あるくらいだし前田家は傾奇者の一族なんだろうなぁ、、、
歌舞伎者シリーズ待ってました!!
あえて前田慶次郎利益を入れないとは、up主さん流石です!!東北の傾奇者といったらやっぱり独眼竜こと伊達政宗ですよね〜
利家はイケメンで高身長だったんなら傾奇具合も映えたでしょうね✨甥の前田慶次も傾奇者の代名詞的存在だし、まつわるエピソードにも事欠かない。
前田慶次郎は滝川家からの養子、利家とは義理の叔父・甥で、慶次郎の方が年上だった説もある。
花房職秀の行状で最終的に加増を命じた秀吉も懐が深い……。
水野勝成みたいな偏屈な人を扱える人は黒田官兵衛と徳川家康くらいだったか(笑)黒田官兵衛は主君としてかなり優秀で癖が強い家臣の心を掴んで使ってたくらいだから。
織田頼長の気位の高さは やはり織田家の血筋。
実際の前田慶次は170cmにも満たなかったとか
坊主を囲碁の盤で殴った武将もいたんだ囲碁盤で殴る今の現代人では分からない感覚
前田利家も若かりし頃は 信長の「夜のお相手」だった。当時としては 当たり前の風潮だとはいえ、想像してしまうと・・・。
【歴史解説】戦国・無念な最後を遂げた戦国武将 5選!この恨み、晴らさでおくべきかっ!!【MONONOFU物語】
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このシリーズの第2弾やってほしいです‼️
いやー、面白かった(^^)三木秀綱といい、木山弾正といいマイナーな武将なんだけど無念な思いが伝わってきますね。そのへんを深く掘り下げてるあたり、他のチャンネルと違いがあって素晴らしいです。
拝見しました(^-^戦国時代ってロマンありますね(^-^ 本当にこういう歴史があったんですもんね~。私たちが生きている時代も、遠からず訪れる未来に、ロマンチックに語られる日が来るのでしょうか(^-^
豊臣を助けられずに滅亡させられその後「もう用済み」と言わんばかりに幕府にハメられ改易された福島正則も相当無念な最後だったのではないだろうか?
家臣の裏切りで自刃に追い込まれた武田勝頼と朝倉義景も無念だったでしょう本当に怖いのは、はっきりとした敵より態度不明瞭な味方の方
山中鹿之助は三國志の姜維に似てる。姜維は蜀漢の為に北伐を幾度と行ったが、最後は敗北してしまった。だが、彼は捕らえられた後敵将を唆して反乱を起こそうとしたが露見してしまい一族郎党皆殺しになってしまった。漢復興の為に活躍した姜維。尼子復興に活躍した山中鹿之助。どちらも忠臣である。
素晴らしい動画、ありがとうございました!
山中鹿之介が配下にいたってだけで尼子の名が上がってそうだな〜小早川が、息の根を止めないと安心できなかったってのが、どれどけすごい人物だったかって分かります
やはり山中鹿介登場か! 諏訪頼重も確かに納得だよね。自分も若くして死に、娘は宿敵の側室となり更に早死、その息子も若い妻と息子と共に山の中で無念の自害とは…
もっとわかりやすい言葉を使ったほうが歴史エンジョイ勢にもわかりやすいと思いますよ〜
個人的には長宗我部信親を推したい元親とともに慎重論を唱えるも、腰抜け総大将の奢りにより敵中に孤立し討死に、そして彼の死が元親や長宗我部の運命も狂わせた
小田原の役の際に上杉・前田隊の猛攻で落城した八王子城の将兵は、上杉・前田の先兵として突入してきた裏切った大道寺政繁と平井無辺を見て、憤懣やるかたない思いだったでしょうね。
本日も最高でした♪
豊臣家の行く末を考えると、信孝の怨霊というか怨念というかそういうこともありそう
02:49 まぁ、腸といえば腸ですけれど。ある意味、壮絶ですけれど。長めの動画でも飽きずに楽しく最後まで視ることが出来ました。有難うございました。
木山弾正も最期はあまりにも惨い…仮面を被ってないとすれば、家臣も冷静に見て主君がどちらかって分からなかったのだろうか…
あんま有名じゃないかもしれないけど龍造寺隆信と同盟していた蒲池鎮漣も無念だったろうな一番の仲だった龍造寺隆信に騙し討ちにあい非業の死を遂げるという
最後の木山弾正については知らなかったので勉強になりました!清正さんはあまり好きでは無いのですが、事実であれば一騎討ちでそのやり方はかっこ悪過ぎですね。創作かとは思いますが。
戦で討たれた武将は、まだ華がありますけど、土民の落ち武者狩りにやられたら、悲惨の一言に尽きますよね(´・ω・`)
最上義光が見たいです^^
【歴史解説】戦国の謎 5選!実はこうだった?!戦国時代のミステリー!!【MONONOFU物語】
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更新待ってました!編集が素晴らしくて大変だと思いますが毎回楽しみにしてます。
そうやな・誰も見たわけではなく、古文書を見て推測するわけやし、いろんなな意見が出て、またこうであってほしいといろんな思いが持てるし、歴史好きとしては、面白い😙
光秀生存説は好きです^^信長も生き延びて、金地院崇伝になったなんて説もあったら、面白いのですが(´・ω・`)しかし、2つ目の光秀生存説はちょっと悲しいですww
歴史のミステリー大好きです!武将の半生をWikipediaに書いてある通りに説明しなくてもWikipediaを読めば良い事なので必要もないと思ってました。帰蝶(濃姫)の生存説は一次史料の信長公記に記されていないので定かではありませんので謎ですね。一番の謎は明智光秀の生存説でしょうかね。天海僧正説も囁かれておりますが、少し怪しい点が多過ぎで歴史小説なら大変面白い題材だと思いますが・・・。少年探偵団などで知られる江戸川乱歩は名探偵{明知小五郎}を明智光秀と桂小五郎からとったとしていますが『荒深(あらふか)小五郎』も意識していたかも?ですね。江戸川乱歩の祖先は藤堂高虎の縁者で家紋は光秀と同じ桔梗紋です。高虎は信長の甥の織田信澄に使えてもおりましたので複雑な心境もあったと思いますね。個人的に{小五郎}と云う名前ですが、明智十兵衛光秀は小者で十兵衛を二で割った数で五。男の郎を隠語にしたのではないかと考えていますが如何でしょうか?
秀吉の”準備”はまるで”畿内へ軍勢を返すための準備”にもなっているね・・・光秀の放った連絡係が”間違って”秀吉のところへ報告を届けた一件もおかしな話だし、やはり偶然ではないと思う。
真田幸村生存説もロマンがあって大好きですね!
謙信の書状とかみると、「またどうせ自分のせいにするんでしょ」とか「もういやだ。誰もいう事聞かないし」とか感情的なのが結構残ってるから、そこからヒステリーな女性的なイメージが来てるんかな。生存説系は正直、当時の惣村社会で落ち武者狩りデフォって考えると相当眉唾って思うけど、逃げたり死んだ事にした後の生活で自身の資料残すってのもしないもんなー。
今回の動画も面白かったです!そーいえば沖田総司が女の人だったという設定の「幕末純情伝」って小説がありましたねw
やっぱ中国大返しはどうだったのかっていうのが気になるな(๑・▱・๑)けど、光秀生存説もあるとおもってるんので気になります(-^〇^-)今は見ない。今後も見ることが無い🐶HKで、だいぶ前に放送してた「へうげもの」での設定(色々な陰謀)も面白かったな。
焼き討ちがなかったとしたら、周りの大名などが信長を貶めるための宣伝として流布されたのかもしれませんね。
帰蝶さん生きてる説面白い
川中島合戦=信玄と謙信(今でいう一方的片思い=ストーカー説)の痴話喧嘩説までありますからね。
0.50くらいのシーンに出てくる帰蝶ですが、別名は「篤姫」ではありませんよー(笑)正しくは「濃姫」です。
明智と家康は親交があったのならなぜ、家康たちは明智軍を恐れて辛い伊賀越えを、命懸けでしたのでしょう?どうどう帰れたのでは?
上杉謙信は土葬では無く大きな甕の中に遺体が入れられたから調べたら性別がわかる。
日光の「明智平」を名付けしたのが天海僧正と言われてますね。あと家光の乳母春日局は光秀の重臣斎藤利三の娘である事も無視できません。日光の名前の由来は近くにある二荒山の二荒(ふたら)を「にこう」と音読みしたものに日光と当て字したそうですが、明智平と名付けた場所と当て字の日光で 「明智日向守光秀」を暗喩していると考えるのは穿ちすぎでしょうか?
前働いてた仕事場に荒深さんて居ました、旦那さんから、墓を守ってるみたいな話を聞きましたが詳しく聞いてませんでしたが
私が秀吉の凄さ、かっこよさを一番感じたのは、大返しの途中で姫路城に寄ったとき、(今ある軍資金全てと、この姫路城の蔵にある金銀財宝全てを兵に分け与えろ)と言った事です。(さすがに全てはマズいですよ、一部にしましょう)と言う家臣達に(馬鹿言うな!今使わないでいつ使うんだ! 相当辛いはずの行軍なのに、嫌な顔もせず従ってくれる兵ばかり。全てを分け与えつても足りないくらいだ。)と言い本当に全て分け与えた、との話を聞いて、秀吉は人たらしなのではなく、本気で周囲の人達を気遣うような人だったのでは? と思いました。
焼き討ちはあったと思う。たとえ抜け殻でも比叡山は京の都から東北方向の出入り口にあたり、ここを浅井朝倉勢に使われる事は厄介なので、軍事拠点を使わせ無い様にするという意味からも寺の破却の為に焼き討ちしたと思う。規模はどの程度かわからないがそもそも比叡山焼き討ちは信長以前にも細川政元も行っており、信長が唯一では無い
上杉謙信が女説や武田信玄がホモ説好き😂
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