【歴史解説】MONONOFU物語(おすすめch紹介)

【歴史解説】MONONOFU物語(おすすめch紹介) チャンネル紹介
Sponsored Link

Sponsored Link

【歴史解説】しくじり大名 駿河大納言って誰?【MONONOFU物語】

【歴史解説】しくじり大名 駿河大納言って誰?【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】しくじり大名 駿河大納言って誰? 【MONONOFU物語】 ~目次~ お好き …

織田信長の弟の織田信行、伊達政宗の弟の伊達小次郎や徳川忠長は正室の実母に寵愛されて母親から自分が兄に代わって跡継ぎになると育てられたのが悲惨な結果になってしまったが、逆に豊臣秀長、武田信繁、保科正之は兄を盛り立てて居たので信頼されていて秀長、信繁が死んだ時は秀吉や信玄は嘆き悲しみ失った影響は大きく御家崩壊の遠因になり、保科正之は家光が死去前に弟の正之を幼い家綱の後見人にし、家光死後に大老になり由井正雪の浪人反乱未遂事件や明暦の大火が起きたが保科正之が幕府を取り仕切り幕府を安泰にした。

この系統が残っていたら、徳川本家の断絶には至らなかったかもしれない。家光系は病弱なイメージが強いからな。。

登録者1万人突破おめでとうございます!!これから登録者増えたら、忙しくなって返信とかあまり貰えなくなるのは寂しいですが、応援していきます!!(この番組の良さは、見て解り易く、聴いてるだけでも分かり易い所。)

もし忠長が、異母弟の保科正之のように幕府や将軍家に対して絶大な忠誠心を抱き、かつ目立たずに控えめな態度をとっていれば、家光も駿河家を御三家の一つとして厚遇してたかもしれないな。

駿河大納言忠長は漫画[シグルイ]での狂気の印象が強かったのでかなりヤバイ人物だと思ってましたが動画を見た感じでは単に思慮の足りない甘ったれの印象でした。きっと農家にでも生まれていたら厳しい両親に正しく導かれて真人間になれてたのが血筋が災いして人格を矯正できなかったように思えました(笑)

身内にも厳しく接していた秀忠も江が生きている間は、忠長に対して強い態度は取らなかったものの、江がいなくなってからは遠慮することがなくなったことや、忠長自身の乱行?や酒に酔っての放言説(自分は将軍の弟なら100万石の知行か、大阪城を賜るのが相応しい)から秀忠も「コイツは自分の立場判っていない」と匙を投げられて次第に相手にされなくなって余計に乱行を繰り返すようになり、家光の方が秀忠側に対して恩赦を願う使者を送ったり、仲は良いとは言えないが血を分けた兄弟だからと何とか取り成そうとしていたものの、秀忠危篤の時には面会謝絶されて、秀忠もいなくなった後は、更に乱行が激しくなり、遂に家光もこれ以上放置しては幕府の威信が揺らいでしまうと庇い切れなくなった結果が、甲府への蟄居からの自害と考えるとな…

幼少期からかなりワンバクで、顔も大叔父の織田信長に似ていたらしいですからね。信長に憧れを持っていたと言われる江の方にとって忠長は特に可愛かったのでしょうね。時代が戦国だったら、忠長の人生は変わったかも…

母親の偏愛の咎、織田信長の弟「信行」、忠長も同じ轍を踏んだ、「歴史上、兄を立てた兄弟が良好な関係を築いている」「武田晴信・信繁、豊臣秀吉・秀長・真田信之・信繁」「仲違いした兄弟」「源頼朝・義経、足利尊氏・直義、織田信長・信行」

忠長に関しては、本人というより秀忠とお江の方の両親が甘やかしたせいだと思う家光と忠長が幼少の頃に家康の前に出たとき、長男の家光がお菓子をもらったところに、忠長も行こうとして家康に「立場をわきまえろ!」と一喝されたエピソードがあるけど弟だからって甘やかされたんじゃないか?

でも健康だった忠長の方が将軍の本筋が長く続いた気がするんだよね。

男性解説員さん時の武将の声ものまねが、大好きです。

里見浩太朗演じる「長七郎 江戸日記」の長七郎の父親である。、駿河大納言忠長卿。

徳川忠長は、確かに将軍にはなれなかったが100万石を領有し。徳川の姓を名乗ることも許された。御三家筆頭に数得られた尾張徳川家が62万石だから、将軍の次男と言えどもこれは破格の待遇と言える。それで満足すればよかったのだがな。

駿河城御前試合(日本中の有名剣士を闘わせる)とか如何にも中二病の発想だwでも柳生宗冬 対 柳生蓮也斉 の対決は素晴らしい

じゃああまりにも横暴過ぎる殿様であって、実の兄の家光の怒りを買ったからこそ、僅か二十八年の短い生涯を終えた徳川 忠長なんだな。

もし長男に生まれていれば良い将軍になったのかも色々諸説ありますが家光よりも武芸も学問にも秀でていたといわれているのででもその粗暴の悪さから足利義教みたいに暗殺されそう

「禿(はげ)を闘犬に食わせる」で笑っちゃいましたかむろなんて普通の人は知らないかもですねw

結局 家光(家康と光秀の合体タイプ)の弟は忠長から保科正之になってしまいましたからね~

家光は病弱で面倒はすべてお福が見ていましたから、秀忠とお江の愛情が忠長に偏ったのかもしれませんね。家光からすると両親から可愛がられた忠長への嫉妬で冷たく当たったことが忠長を変えてしまったのかもしれませんね

初めて知りました!マイナー武将編?楽しいです^_^

Sponsored Link

【歴史解説】戦国時代、最も恐ろし過ぎる○され方をした人物 5選 第三弾!【MONONOFU物語】

【歴史解説】戦国時代、最も恐ろし過ぎる○され方をした人物 5選 第三弾!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】戦国時代、最も恐ろし過ぎる○され方をした人物 5選 第三弾!

さすが20分以上の動画は見応えあります。今回からアニメーションも使ってグレードアップしてますね。

第3シリーズ!おめでとうございます😆

時代が時代だけど…怖いなぁ( o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅ )今も残忍な殺人とかする方も居るのである意味怖いですが…

豊臣秀次は、2代関白として、側室が駒姫を含めて30名以上いて、秀吉・秀長と違って子宝にも恵まれて準備万端でしたよね。後顧の憂いなく、政権を秀頼に譲るには皆殺ししかなかったのかなぁ・・・。連座で自害した大名の中に、前野長康がいるんだけど、どういう思いだったのだろう。蜂須賀小六とともに、古くから秀吉と苦楽をともにしてきたのにね。

千葉邦胤新年の席でオナラをした家臣を無礼であると叱責して手討ちにしようとする周囲のとりなしでその場は終わったが後日逆恨みした家臣により刺殺される。オナラが原因で殺された恐らく唯一の武将( ˙-˙ ; )

来島村上家の来島通総は慶長の役に参戦しましたが、鳴梁の海戦で李舜臣率いる朝鮮軍に敗れ戦死します。朝鮮軍は落水した通総を引き揚げて、身元を確認した後遺体を寸切りにしたそうです。

政宗の従兄弟も優秀なんですね

最上家はこれだけの犠牲を払い早くから徳川家康に決めて忠誠を誓っていたにも拘らず大名としては初期に無くなってしまうというやるせない結末

大賀弥四郎も悲惨だったけど、弥四郎に加担した(?)築山御前も騙し討ち同然で家康の家臣に斬り殺されたんだよな・・・

包丁でメッタ刺しにされるより辛い最期などあるものか

何かの歴史ドキュメンタリーで駒姫の事を知って半泣きしたことを思い出しました。

権力者のクズっぷりが改めて示された!

周りにろくな奴がいないと言うのは実に不幸だ・・・悲運の最期を遂げた方々には悪いが、反面教師とさせてもらいたい。

秀吉の時だけウッキーっていう猿真似が余計。

おたあさんも駒姫もつらいな 、、、

駒姫は悲惨過ぎるだろ~😓まだ正式に秀次の室になる前だったってのに…義光が秀吉から離れて家康に付く契機にもなったし。秀吉好きだけどこの一件に関しては納得出来ん❗

11歳に一目惚れてなかなかヤバいな

これのせいでクソ狸とクソ猿は好きになれない愛知県民やっぱり信長公がナンバー1

戦国時代より鎌倉時代の方がエグい気がする

今回は、家康のクズっぷりがなかなか(´・ω・`)

Sponsored Link

【歴史解説】しくじり大名 松倉勝家とは?!【MONONOFU物語】

【歴史解説】しくじり大名 松倉勝家とは?!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】しくじり大名 松倉勝家【MONONOFU物語】をお送りいたします。

松倉家二代の失敗を解説するサイトはあっても松倉勝家の失敗をここまで解りやすく解説サイトはありませんでした。解りやすいサイトありがとうございます。

なお、身の丈に合わなかった島原城ですが、その後は何かと不穏な動きが多い薩摩藩への牽制に有効活用されたようです。

因みにこの時の浪人らというのは旧豊臣家臣だし、参加した農民も帰農した豊臣側に付いた武士も多数いたので幕府側の視点からするとやっと鎮めた旧豊臣方が武装蜂起した事をきっかけに外国を巻き込んで第二次徳豊戦争という最悪のシナリオもあったんだよなあ(戦慄)

松倉勝家の父松倉重政は大坂夏の陣では水野勝成さんの与力として出陣した関係で島原の乱に水野勝成さんが親子3代で参戦した関係がある

島原の乱に、こんな背景があったとは(´・ω・`)勝家は親父さんの、残酷な部分だけを受け継いでしまったみたいですねwキリシタンがいない領地だったとしても、いつかは一揆がおきて、まともな終わり方はできなかったでしょうね。

4:35 確かに五條にある江戸時代の街並が遺る地区を歩いていたら、松倉重政の善政を讃える碑があって驚いた記憶がある。

松倉勝家は斬首。寺沢堅高も改易断絶になったのは幕府もこの島原の乱の原因がキリシタンでは無くて両者の悪政が原因と考えていた事の証明でしょう。この後、家光の信頼厚い高力忠房が島原藩主となり領内の再建に尽力し藩の立て直しに成功しますが、その子隆長は失政を重ね改易。幕府が島原藩に注視し続けていた事が良く分かります。

いつも楽しみにしてます❣今回も興味深く拝見させて頂きました指導者がいたとはいえ、兵糧攻めでしか落とせなかった島原の乱、すごいですね島原の乱の前の過酷な税金や拷問の話しは聞いたことあるので、それを引き起こした勝家が武士として屈辱の斬首にされたこと、民衆が少しでも慰めになれたら良いなぁと思いますそれにしても、拷問受けも棄教しないのってすごい。私ならその場に引きづられただけで踏み絵の上で連続ジャンプしますわゝそんなんだから勝家は余計キリシタンが恐ろしかったんですね新しいチャンネルも早速登録させていただきます❣

「島原や天草には戻って来ない事」を条件に原城から脱走した兵を逃がしたとの逸話も残っていますね。

お父上の真意を見誤ったのですね。唯一の罪人扱い大名ってことしか知りませんでした。ありがとうございました。

天草は唐津藩の飛領で寺沢堅高は唐津城に住んでいましたが、島原の乱のしばらく後に唐津湾に外国船が侵入しこれを攻撃し撃沈させました。堅高はこの時の外国船の亡霊に恐れて自死したとも言われています。

余談ですが、当時天草は肥前唐津藩寺沢家の飛び地で、乱の収束後、天草は没収されています。

親父が10万石と過剰申告しちゃってるから、後から息子が「実は4万石なので勘弁してください」なんて言ったら幕府に「てめぇ嘘ついたのか?」と責められて改易だからどの道詰んでますね。

“大和五条の名君”松倉重政がどうして“肥前島原の暴君”になってしまったのか、かねてから疑問に思っていましたが、背後で宣教師を逃していたりしたことは初めて知りました。勉強になりました。松倉勝家については同情の余地無しですね。有馬晴信をそそのかした岡本大八のように、火炙りにされなかっただけマシだったのかも。磯田道史教授の話によると「民衆は徳川将軍家から領主が預かっている存在で、苛斂誅求を民に加えることは将軍家への不忠に当たる」とのことです。“謀反人”とみなされたのかも知れませんね。

動画アレンジが好きです😀遊びに来ました😀本日、コロナワクチン接種で片腕が痛むので、キリシタンのような苦痛です(汗)

やっぱ米の代わりのもんを税金にしてたけど、米と違って可視化するのが難しいから重税をおこなっちゃうのかなぁ

鎖国と参勤交代が無ければもう少し豊かな国となったかも

歴史で悪とされる人物でも功績とか同情できる部分もある物だが松倉勝家に関しては同情の余地なしだ

旧有馬氏領の移封になったことが松倉氏にとっても良くなかった

大名唯一の斬首となって当然でしょう、勝家の悪政が契機となって島原の乱が勃発してその結果の鎖国令。鎖国は賛否両論ありますが、島原の乱は防げた可能性もあった。

【歴史解説】戦国・見事な最後 5選!第二弾!これぞもののふ!【MONONOFU物語】

【歴史解説】戦国・見事な最後 5選!第二弾!これぞもののふ!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】戦国・見事な最後 5選!第二弾!これぞもののふ!【MONONOFU …

どの方も美学が溢れる最期でしたが、土屋昌恒公は戦いの中で討たれる事なく、主君の最期を見届けた上に自身も切腹で果てると言う最期。武士の中の武士を見たりと思いますね。

力量のある相手を敬えるのが若い中川秀成ってのがすごいですね。長政は底がしれるなぁそして、誉れ高い武将といえど首切られた男の娘を嫁にもらうってのがすごいです❣

大熊朝秀は謙信を裏切った後武田家の忠臣になった稀有な武将だと思います。天目山で果てる際は謙信・信玄・勝頼との思い出が走馬灯の如く駆け巡ったのでしょうね。

いやぁ、最後に森可成ではなく、青地茂綱にスポットを当てたところが素敵です。蒲生氏の出ということで、どうしても蒲生氏郷の陰に隠れてしまいがちですが、最後は壮絶だったんですね。

たとえどんな人であったとしても命をかけて何かをした人には心にぐっときますね

土屋さん凄いなぁ…裏切った梅雪とは比べものにならない(―ω―*)

かなり見ごたえのある動画でした。ありがとうございます。次回も楽しみにしています!

三浦道寸、三浦善意の親子の奮戦、討ち死にも紹介して欲しい。

長宗我部信親を取り上げて頂きありがとうございます。信親の死は 幕末の歴史にも 少しかかわってくる出来事でしたので・・・。

佐久間盛政の弟たちのエピソードも是非紹介してほしい。

見事な最後といえばやっぱり鳥居さんやな鳥居さん以上の見事な最後はないやろうな

武士の死に様。心動かされる事がありますねー。編集が面白いのでワクワク?しながらみてます(^ ^)

武田家最後の忠臣、土屋昌恒キタ!!やはり郷土の傑士には特別な感情が湧き起こります。因みにwikiには墓所が南アルプス市長盛院となっていますが、長盛院境内には無く、お寺前の県道を少し北に向かった離れに独立して墓所があります。温泉も近くにありますので、お近くにお越しの際は是非、お立ち寄り下さい。

11:04 軍監に軍艦が登場(´・ω・`)時々出てくる、こういう遊びも楽しみですね♪

見事な最後は高橋紹運ですかね勝頼は小山田ではなく真田昌幸のいる岩櫃城を選べばよかったですね

有名どころをあえて避けたような紹介に益々興味が持てます。有名どころでいくと、清水宗治山中鹿之助佐々成政等‥でしょうか(^_^;)

第一弾から来ました。リクエストに対して早々に応えるところが素敵ですね!ただ…なぜ森可成ではなく青地…。森可成が1番好きな武将なんですぅ😢

もう一人、信長公記に「その働き比類無し」と称賛された武田の武将に馬場信春が居ます。長篠の戦いで敗れ敗走する武田軍の中で、勝頼が撤退する時間を稼ぐ為に殿となり討ち死にしました。

一番最後に登場した方は、全く知りませんでしたw(゜o゜)w水分補給のためにですか、相当な覚悟だったんですね🐸

片手千人切りの土屋昌恒がでてきました!鬼玄蕃の佐久間盛政までも!

【歴史解説】第二弾 戦国最悪の卑怯者 5選! ひどい!汚い!狡猾!【MONONOFU物語】

【歴史解説】第二弾 戦国最悪の卑怯者 5選! ひどい!汚い!狡猾!【MONONOFU物語】  (c) 【歴史解説】MONONOFU物語

(c) 【歴史解説】MONONOFU物語 皆様、MONONOFU物語へようこそ!! 今回の動画は【歴史解説】第二弾 戦国最悪の卑怯者 5選! ひどい!汚い!狡猾!

戦国最悪の卑怯者って、最高の褒め言葉だよね笑どんな手を使ってでも生き延びる群雄って、かっこいい。たとえ曹操みたいに大成しなかったとしても、大変な時代をあの手この手でちぎっては投げちぎっては投げ、とにかく生き延びて適当なポジションに収まるのがカッコいい。

直江兼続のエピソードではある家臣が小姓を無礼打ちにした時に小姓の家族が酷すぎると訴えたので、金銭で示談にしようとしたが家族が納得せずに「生けて返せ!」としつこく迫ったので兼続は「だったらお前が冥土まで行って連れて帰ってこい!」と言って家族の首をはねた というのを聞いたとこがあります。兼続はその後に閻魔さま宛てに「◯◯の家族が◯◯を迎えにそちらに参りましたので二人共々こちらに御返しください」と手紙をかいたそうな。

津軽の所業のおかげで「青森県を割らないために自衛隊の基地を置く」ハメに・・・(ニコ道の「戦国最凶!梟雄伝!」でも語られております。オススメできます!!)。直江兼続の場合は「景勝のため」に動いたのであって「上杉のため」じゃないような気がするんですよね。

兼続と三成は、仕える家が違っても同じ様な事が起こったんでしょうね。謙信は義で人を許すが、兼続は義で人を滅ぼす。

松永久秀は三好長慶の甥(養子)の義継が死ぬまでは三好の家臣として活動していた、と見られる事が増えたので木沢長政が梟雄として注目されはじめましたね

リクエスト超有名武将の祖父達を解説してほしい織田信定、武田信縄、松平清康、長尾能景、伊達晴宗個人的にはこの5人を紹介してほしいけどまぁ何でもいいです後上杉憲政最近登場しすぎ

当時の村ってそれぞれ武装してるし、ものによっては普通に城落したりもできるからなー。

1話目ですが、現在も石川城跡には何やら地下の洞窟があって、あちこちにつながっているそうです。崩れているものもあるそうですが、何やら昔から探検した人がいてネットには多くの記録が残されています。

江戸時代における直江兼続の上杉家中での評価は最悪だったらしいね。主君を誤った方向に進ませて、結果石高を4分の1にまでなったから。上杉鷹山が直江兼続の残した殖産業の書物を治世の参考にしてから評価が良くなったとか。

大坂の陣でいつも思うことは、豊臣秀頼にとって最後の戦いになるとわかっていたのに、何で陣頭に立たなかったのだろうかということ。もうすでに20歳になっていたのだから、武士の散り際を考えてもいいだろうに。織田信雄とか、有楽斎とか、そりゃダメでしょ。

第一弾で、津軽為信もいれないとコメした者です。取り上げてくれて、ありがとうございます。

一騎打ちでいえば加藤清正も卑怯なやり方してますよね。清正「武士だったら太刀でやり合おう      ぜ。ポイッ(槍を捨てる)」敵「おけまる(敵も武器を捨てる)」清正「(槍を拾い上げて)隙ありぃぃぃ!」今では騙し討ちだけど戦国時代ではこれがよくあったのかな?

しかしながら、織田長益は二条城から逃れる際なんで明智勢に襲撃されなかったんだ?

宇喜多直家、卑怯者にも入れてもらえないのか………

小説のイメージというものは大きいですね。戦国武将ではないですが、坂本龍馬も見方を変えれば、恩師の娘をたぶらかして、芸者くずれと遊び歩くクズ、だったとか(´・ω・`)

あまり卑怯というイメージはないけど謀神・毛利元就と謀聖・尼子経久なんてどうでしょう?2人とも結構エゲツない事してます(o’ω’)ノ

卑怯物の概念は現在と少し違うかもな、当時は常識みたいな🤭?‥近代において武士は美化されすぎかもな。

信忠に必要だったのは長益のような生への執念だったわけで……

南部民が良く言う「津軽はすぐ裏切る」ってのは初代からだったんですね。八戸方面に住んでる親戚が露骨に津軽を嫌ってたのでテレビのネタでは無いとは思ってたけど、勉強になりました。

剣道と剣術の違いだね 相手の脚を切断しようが背中に斬りかかろうが勝てばいいのよ

コメント

タイトルとURLをコピーしました