さつまいも商会(おすすめch紹介)

さつまいも商会(おすすめch紹介) チャンネル紹介
Sponsored Link

Sponsored Link

【総額3万】4980円のCeleronと自作ケースでPCを作る!一部のゲームも結構動く…?【自作PC】

【総額3万】4980円のCeleronと自作ケースでPCを作る!一部のゲームも結構動く...?【自作PC】  (c) さつまいも商会

(c) さつまいも商会 Celeronは熱くて遅い… 皆さんはこんな考えをお持ちでありませんか? でも今のCeleronはIntelのあの黒歴史であるPrescottから大きく改良されているのでもうそんなことは …

16:06 ^^20:40 主さんの編集技術の進化もすごすぎる

後期Core2Duoの廉価版Celeron(Celeron Dual-Core E3x00シリーズ)から、廉価版CPUとしてはだいぶ性能良くなりましたねぇ。2GHz以降の周波数帯(まぁ、それ以下の周波数のCPUなんて今どき省電力版でもそう無いですけど。ただし、Atom系CPUは除く)であれば、ネット閲覧を中心とした普段使いには困らないですからねぇ。あとは、それなりのメモリとシステム領域の記憶媒体としてSSDを用意出来れば立派に使えるPCの出来上がりですよ。

i7 860が400以下350以上だった気がするからやっぱりまだコスパは負けてますねえ。9年前のハイエンドに5000円でここまで来てることに驚き

タスクマネージャーでCPUやRAMの稼働率が高いと「頑張ってるなぁ、こいつ。俺も頑張ろう。」って感涙するんだよね。

6:30 箱を開ける際は、隙間に定規などを差し込んで引っ張るとキレイに開封できますよ

自作ケース…いいっすね!自分も作ってみたい…!

シリコンパワーは値段にしてはかなり信頼できるのでオススメです🙆

Prescottの時代は今よりもクーラーの性能が低く、ちゃんと冷やせなかったために「爆熱」「爆音」という評価を受ける結果となってしまいました。実消費電力で言えば、Pentium Dの消費電力ですら、9900Kとか9700Kよりも低くなります。今でも作ろうとすれば5GHzのCeleronは作ることができますが、Celeronの存在意義である低価格・低発熱のメリットが失われるので、作る意味はないですねw

AMD Athlon 200GE(Radeon Vega 3)だとSEUSやっても問題なかったですね…(PolarisのRX 570でもバグった記憶がある)

今ならAthlon 200GEが6000円切っててコスパ良いかもねPentium Goldは高止まりしてるし

4GBを2枚という構成が渋い。フルに積んでも結局使ってるのは8G程度っていうのが64bit のWindowsだからね。(なんでそうなるかはわからないけど、7のときからそうだった。)

初代を知ってる人のセレロンの印象:むき出しカセットw

7000円でメモリ4スロのマザー買えるんですねぇ……

Win10pが900円www絶対怪しいゾ

11:35うちのCore2 quad Q6600が238cbなので、 初期の4コアより現代の2コアのほうが微妙に性能が高いみたいですね。 逆にCore2 世代でもquadなら現代でもそこそこ使えるようです。 …電気代?知らんなぁ。

celeronはもう後3千円出せば4スレッドのpentiumが買えてしまうのが痛いところですね・・・と言いつつ私も自作ケースでG4900愛用中です

うぽつです!!そういえばintel UHD Graphics 630(i7-8750H)でもSEUSが同じ状態でしたね

デスクトップ用なら10年近く前から良くなってなかった?昔3000円のセレロンでサブPC組んだら普通に使う分には充分快適で内蔵GPUでYouTubeフルHDも余裕で当時ビックリしたのを覚えてるSandyのセレロンだったかな?ivyのノートPCi5より何倍も快適だった。

バックライト付きのエンブレムシールなんて誰も作らないよな…

最近自作pcのクオリティどんどん上がってて草生えますよ

Sponsored Link

デュアルCeleronの金字塔ことAbit BP6を4400円で購入!20年物のデュアルCeleronマザーは動くのか!【デュアルCPU】

デュアルCeleronの金字塔ことAbit BP6を4400円で購入!20年物のデュアルCeleronマザーは動くのか!【デュアルCPU】  (c) さつまいも商会

(c) さつまいも商会 以前のCeleron 333自作PC https://youtu.be/BKTA8WNZ4e4 先日、ついに使用中のもの含めx86系CPUの保有数が100個を突破してしまいました… というのは置いておき …

動画内ではお話ししていませんが、ACPIを無効にしたままOSをインストールしたため自動電源オフは機能しない状態になってしまいました。変更にはOSの再インストールが必要と少々面倒ですが、手動で電源を切ればいいだけなので気にしないことにしておきます。動けばいいんだよ動けば()余談ですが、こちらのマザーボードは現在は稼働させておらず、箱に入れて保管している状態となっています。

この時代、P3C-D、PenIII650×2、RIMM128MB×2で組んで爆速だった。一晩かかっていた言語データ処理も1時間程度で終わった。教授のよりも速かった。何より残りのスレッドで別のタスクがスムーズだった。バイト代も全部飛んだ。懐かしい。ありがとうございました。

こんな古いPCにはWin98を入れたいですねにしてもCPUが何個も入って4コアとかになってくからねぇ、技術進歩はすごい

この辺の年代だと片面メモリはほとんど出回っていなかったので、後年の片面SDRAMはうまく動かないと思います。当時売っていたときも片面メモリ、両面メモリを分けて売っていました。片面モジュールが出回って来たのは河童や鱈あたりなので、それら以降だと動くんじゃないでしょうか。

ABITのBP6+Celeron 300A×2、作った時は面白かったなあ。300Aを定格の1.5倍の450MHzで動かしてみたり。性能測定にはSuperπを使ってた気がします。

懐かしい!懐かしすぎる!この時代は本当に色んな意味で自作が面白い時代だった。

これをリアルタイムで使っていた人を知っています これが発売の後 celeronはdualができないようにされたらしいでね 自分は高くで購入しませんでしたが この時代はdualCPUが流行ってましたね(笑)

懐かしい。当時ショップで働いていましたがBH6がバカ売れでBP6はそれの3割も売れてなかったような気がします。デュアルソケットの中ではMSIの板(機種失念)かBP6ってところでした。

昔BH6でOCで遊んでました。本当に懐かしい!素晴らしい動画ありがとうございます。

そう言えば、Slot1を2つ装備したデュアルCPU対応マザーボードにP2B-Dなんてのもありましたね。BP6と一緒に所有してました。

Aメガヘルツとか懐かしいな。AbitのBP6はハイエンドというよりキワモノ扱いだったな、クソ高いデュアルソケットマザーの中では安かったと思う。何度か店に通ったけど購入には踏み切れなかったなぁ。

2000年頃に初めて買ったパソコン雑誌、「月刊ASCII」の連載企画に載ってたのを覚えています。ちょうどAthlonとPenIIIのどっちが先に1GHzの大台を越えるのか注目されていた時期だったと思います。Windows 2000がでるか出ないかくらいだったので、その連載のライターの方はたしかNT4.0で組んでおられたような気がします。このころのPenIIIまではデュアルCPUとかができる仕様だったんですよね。自分も昔のことそんなに知らない世代ですが、今のCPUはターボブーストとかで勝手かつ動的にオーバークロックされるけど、その当時はそんなこと考えられなかったですもんね。いつか欲しいと思ってたけど、とうとう買うことなく来てしまったので、懐かしいものを見せていただきました。ありがとうございました。

中古A7M266Dをうっかり落札してしまったので、アスロン2400+を1個買い足し鉛筆でゴリゴリしてMP化して使ってた事を思い出した当時まだデュアルコアCPUは存在してなかったので大満足だった今でも安くデュアルCPU機が組めるのなら、いつでも自作復帰するつもりは有る(`・ω・´)

大学4年の時、これに300A Dualを450MHzオーバークロックで使ってたなぁ。社会人になってAthlon MPがメインマシンになったときにFreeBSD入れて自宅サーバに8年くらい使ってた気がする・・・w

ちょうど自分もDual Slot1を自作しようと思ってたとこです。今のCPUはパッケージの中に複数コアがありますが、物理的に複数のCPUはロマンありますよね。

出た、BP6!Intelに喧嘩売った、伝説のM/Bですね。当時、公式にデュアル動作可能なPentium系はslot1しか存在しなかったので、Intelの意向を無視して発売されたデュアルソケットM/Bに、業界が騒然としました。他のメーカーは、Intelに喧嘩売る必要もなかったので、デュアルマザーはslot1のみで、ソケット版は後にも先にもBP6だけになりました。まだ、家の押し入れで眠っていたりして、存在が消え去ったわけではないですが、将来的にはPCの歴史を語る上で博物館行きになるくらいの代物だと思います。

うわ~懐かしい。当方もBP6組んで使ってました。RAIDカード積んでファイルサーバー用途でOCの倍率100で酷使しました。当時WINDOWS98で運用開始し、最後はXPSP2まで現役で稼働してましたが、さすがに最後レギュレーターが逝きそのまま永眠となりました。インテルがコア2デュオが出始めるまで数年だったのでマザーがCPUのコア世代交代を逝く事で教えてくれたのかもw 良くもったと今でも驚きのマザーの耐久度です。

ISAバスに時代を感じる素敵マザー

これ以前にスロット1とソケット370を両方搭載したマザボも有ったなぁ。デュアル駆動は出来なかった様だけど。

core2出るまで2コアはなかったたんだろうし、当時はすごいワクワクしたんだろうなぁ

Sponsored Link

【Windows XP x64】まだ早すぎた64bit OSとこれが残したモノ【ゆっくり解説】

【Windows XP x64】まだ早すぎた64bit OSとこれが残したモノ【ゆっくり解説】  (c) さつまいも商会

(c) さつまいも商会 知られているようで知られていない、Windows XPに存在したx64バージョン。発表時点ではまだ早すぎて全く普及せず半ば闇に葬られてしまったこのOSについて解説して …

確か、IntelはItaniumともAMD64とも違う64bit環境を作ろうとしたけど、MSから「64bit環境は2つまでしか整備しないよ?」と最後通牒を言われて、断念してAMD64(互換)を渋々受け入れた、という話だったはずです。

vistaから10までいろいろとパソコンを巡る環境は変わったけど、ビジネス用途に限れば本当に皆が欲しかったのは互換性がもっと高いXP 64bit版だったのかもしれない。

ゲームキューブもだけど、xpってもう20周年になるのかあ、早いなあ。

xpも出た当初は重いと酷評されていたなそれまでのOSより要求スペックが一気に上がった感じ自分もしばらくは2000を使ってたなxpはサービスパックが出てから安定した印象

Windows10 32bitバージョンはOEM向けはすでに打ち切られているので、自分でインストールしない限り必然的に64bitバージョンを使うことになりますね

OSと同時期頃のCPU、AMDx2とか、Windows8に時点では64ビットも動いて割と良かったけど、10になる前にCPU非対応リストに載り、そのままお蔵入り、初期のAMD64ビットCPUもまた、時代に取り残された黒歴史だったと思います。

当時のメモリーの価格を考えれば、一般家庭で64bit版を利用する必要性もありませんでしたね。Vistaの出始めの頃はメーカー製PCは初回起動時に32bitと64bitを選択できる機種もありましたが、トラブル回避という理由からか販売員も32bitを勧めていましたね。その頃のメーカー製PCはメモリーの最大搭載量が2GBとか、ひどいのは1GBとかでしたから64bit版を選ぶメリットもなかったです。

7使わずにXPで生きるにはこいつが必要だったんだ

懐かしいなぁ。当時はAMDから開発・テスト環境一式が送られてきて、AMDはMSよりも多くの人員や資金を投入してました。開発に関わった人の多くはMSではなくAMDから依頼された人達でした。

windows XP に64bit版なんてあったんですね、、、色々参考になります。あと、こんな時間に投稿お疲れ様です。

XP 64bit使ってた。2003 Serverベースで超軽くて互換性も優れてて最高だったよ。

XP時代に出たMMOがVista、7世代でDirectXの世代上がって不具合出てたので代わりに繋ぎで使っていましたね。

WinXP Pro64bitまじで使えなかった印象しかないwwwWin Server 2003のUIがほぼWinXPだったから扱いやすかった記憶が…あくまでサーバーとしては秀逸でしたね!

x64 Editionサポート終了までずっと使ってたなー。手探り感がとてもよかった

当時はRAMも512MBでOSが普通に動いたし2GBは高級オプション扱いだった記憶で、64bitである必要がほとんど無かったですよね。xpと比べるとメモリを食うVISTAですら32bitが主流でしたよね。VISTAは本当に早産のOSだったと思います。自分が64bit版を始めて使ったOSは7でした。今ではiOSもAndroidも64bit。SoCは爆熱仕様で悪名高かったSD810から64bitのサポートが始まりましたよね。当時、スマホでも64bitか…としみじみ思う部分がありました。気付けばスマホのRAMも16GBの機種がちらほら。さすがに128bitは遥か未来の話だと思いますが、テクノロジーの進歩は面白いです。

x64だけでなくMedia Center EditionとかTablet PC Editionとかいろいろありましたね。海外ではStarter EditionとかEdition Nとかも。XPが持ち上げられているのは次のVistaが出るまで時間がかかったために使い慣れた人が多かったこと、Vistaが不評に終わってしまったことが主な要因だと思います。Windows9x系よりはだいぶよくなっていました(特にMeがひどすぎ)。当時Windows2000を使っていたユーザーからすると、Windows2000に余計なものをごてごてくっつけたものという印象であまり良い評価ができませんでした。青と緑を基調とした色が気持ち悪かったですし。あえて2000よりよくなった点をあげるなら、Home Editionができて安価になったことぐらい。x64はまだドライバが揃わなくて使いようがなかった。

そもそもWin7ですら32bitで使われることが多くてWin8で16bitソフトの互換性が云々言われた記憶が。

XP x64使ってました,懐かしいです当時x64用のドライバーがある機器が少なくて選択肢が少なく苦労しました。

いつかは32bitOSが廃れて128bitOSが普及するようになる……のか……?

XPの64ビット版はサポート対象外って書かれてることが多かったね

【GPUの歴史】Part2 ~ 「GPU」の登場

【GPUの歴史】Part2 ~ 「GPU」の登場  (c) さつまいも商会

(c) さつまいも商会 前回 https://youtu.be/oPUsHspeXAE 今回は、1998~2000年に登場した主な製品を集めてみました。最後の方に出てきたGeForce2GTSはそのうち動画で実働させます。

Geforce256は確かに超高速だったけど、消費電力が高めでPCがしょっちゅう不安定になっていた。でも、電源の容量が大きくなっていくに従い安定し、GeforceFX直前まで現役だった。

Rage 128系はTV入出力ってオマケが付いて価格が安かったのとバルク品が大量に出回っていたので3Dゲーム主体じゃない自作層には結構人気だったな。INTELとAMDのクロック&拡張命令セットバトルも丁度盛り上がっていた頃だし、自作最盛期と言っても過言ではない時代でしたなぁ。

Voodoo 3 3000の、当時としては巨大なヒートシンクは印象に残った。Macintosh用のドライバがあったりして、面白い製品でもありました。3dfxの凋落の序章だった製品群だったと知ったのは、相当後の事だけど。

Hardware T&Lは革新的でしたわ当時この頃はまだまだアナログRGB接続だったので、カードベンダーによって発色に違いがあったのが面白かった。当時の自作erの憧れCanopusは偉大だった。他のカードより値段が高くても売れた。使ってみて納得の画質だった。

ちなみにAGPスロットとは、当時の拡張スロットPCIスロットでは強力なグラフィックカードを搭載できるほどの帯域の確保が難しいため、グラフィックカード専用として作られた拡張スロットである。今ではPCIスロットに代えてより高速化し拡張したPCI Expressスロットが搭載されているため、AGPスロットは役割を終えている。

Savage 2000の性能は、期待外れに過ぎた。Savage 2000を搭載したViper IIが、しばらくしてジャンク品同然の値段で投げ売りされていた。それでもどこかのメーカーから発売されていたPC-9821用のSavage 2000搭載カードとか、VIAのチップセットにVIA(Cyrix)C3とSavage 2000を組み合わせて『VIAマシン』なネタや、統合チップセットのProSavageには何かと世話になったりと、色々と関わってますが。

次回か次々回に天下の最強ボード&ドライバメーカー「カノープス」がnvidiaとケンカしてもうグラボやーめたっていうところの事情をやってほしいです。

当時ハードウェアT&L搭載の製品はワークステーション向けで安いものでも30万円くらいしてたと思う用途は違うけどGeForceの登場はほんとうにショッキングだった

個人的に弱い歴史部分でしたのでとても感謝!

分かりやすくて良いですね。続編待ってます。

最近、紅魔郷を動かしたくてWindows2000時代のマシンを作っててどのPCiのGPU買えばいいか全く分からなかったから助かった…

いいね!!!わかりやすいです!!!

面白かった。続編も期待しています。

9X系のOSではRAGE FURY MAXⅩはイケてるグラボだったんですけどねぇ。色も綺麗だし速いし(赤系の発色がいい)。けど時代の流れでOSを2Kにしたらこれが・・まぁ・・・、。結局また暫くG400のお世話になることになりました。

そんな昔からクアドロがひっそりといつかTITANヒートシンクちっちゃくても動く技術が

RADEONのベースが最初期のメーカーTseng Labs遺伝子だったのを知った時はショックだったw。Rag Fury Msxx もってたw、キワモノだったw、動作が動作だけに上手く動かないゲームがあった。この頃ATIのドライバーソフトはメーカーのサポートが製品をユーザー登録した人だけダウンロード許可してた状態で登録してないと面倒だった、ATIサイト直に無理くり登録して落としたわけですが、コレが時代を超えて奇跡が起きたw、何と、AMDから直に発表メールが来るようになったw。いや、びっくりw。

ドライバ自作ニキ強すぎる

いや~、やっぱり僕はGEFORCE2 GTSが憧れだったな…

Voodooとゲフォ256発売時に並んで買った思い出。ラデは川崎のドスパラで衝動買いしたっけ。10万近かった覚えあり。なつかしかったです

わかりやすいです!CPUから煙が・・・w

【あのIntelの伝説の黒歴史】RDRAMとかいう大々的に推し進めたが誰も近づかなかったメモリ【大迷惑】

【あのIntelの伝説の黒歴史】RDRAMとかいう大々的に推し進めたが誰も近づかなかったメモリ【大迷惑】  (c) さつまいも商会

(c) さつまいも商会 IntelがRambusと手を組んで強引に普及させようとした挙句、業界に大大大迷惑をかけた伝説のメモリ。果たしてなぜこれはこれまでにないほど大きく失敗してしまったの …

どうせ次に買う時には全部買い替えるしと思っていたのもあって、余りの売れなさに叩き売りされていたRIMMのM/B(Intel VC820)を当時買った記憶があります。大容量のRIMMもセット売りで、特に目立った不具合にも当たらず、割と得をした感があったのを覚えてます。

ちょうどDDR5時代に差し掛かっているので、おぼろげな記憶だったメモリの黒歴史を復習させてもらえてよかったです。友人がアキバのショップで、「それは考えなくていい」と吐き捨てるように言ってくれた光景だけ覚えてたので。

Northwood時代のRDRAMは高い以外に特にデメリットなかったけどね高価な理由のひとつとしてバリデーションやら品質管理が過剰でi850/i850E環境は相性皆無・ド安定だった

業界に大迷惑と言うならDDRに関するラムバス社VSメモリ企業との大訴訟合戦の話が外せないかと・・・。

この頃はAthlonなどのAMD CPUの台頭でCPUがIntel一強大では無かったからRIMMでもたもたしている暇はIntelに無かったAthlon用のチップセットはサードパーティ全盛でメキメキ力を付けていたし、nVidiaのnForceが出て来たり活気に満ちた面白い時代でしたね

任天堂64に採用されてたなだからメインメモリが36Mbit となんか変な数値になってた(RDRAMは普通のマシンが8bit単位なのに これは9bitだった)

FF11をプレイする為、デルから購入した初めてのPCに付いてました。後でメモリを増設しようとしたらとんでもない値段でビックリした記憶が。メモリって3万もするのかって諦めました。

当時壊れたM/BとRIM×4とCPUをセットでオークションに出品したら、結構な値段で落札されてびっくりしたけど今思えば落札した人はメモリが欲しかったんだろうなぁ

SDRAM全盛期は原価割れ起こすくらい安くなり過ぎたのもあるんじゃないかな?

当時はRIMMなPen4に移行するくらいなら815+河童って層結構いたからなあそれどころかメモリ容量必要な層は440BX+下駄+河童ってのも生き残ってたし

当時リセール品やジャンク品の市場が潤沢になりつつあったこともあり、コスパ重視で組んでいた自分には候補にも挙がらないそれそれは高価なメモリでしたね。ショーウィンドウの中で見かける度に「もうちょい安けりゃ~ね~」と呟いていたのを思い出しました、懐かしい。そして黒歴史繋がりで、次はHD-DVD?

ログインに連載されていた寺島令子先生が、MTH問題でMBとメモリが無償交換となり、お高いメモリに変わったと大喜びされていましたが、直後にメモリ増設の必要に見舞われ、「SD-RAMなら1万円で済んだものが、RD-RAMだと4万円かかるぅ」と苦悩されていたのを思い出します。ちなみに我家は初代アスロンからAMDです。

当時「スロットが違うメモリがある」って話は聞いていたが、ここまで詳細は知らんかったw

i850Eで使ってました。興味本位で手を出しましたが周りは誰も使ってなかったですね。。後から対応したHT実装のPen4(Northwood)3.06GHzを突っ込んで当時は孤高の存在でした笑

PC系半導体メーカーあるある。長期間のものは爆死。(こだわる、発表遅れる、新品開発せずに流用 .etc)

ASUS P3C-Dと言うマザーで(本当は840でdualなんですが、変態マザーって事で)、Windows 2000にも助けられ、スロット1のPentiumIII 650×2で結構速かったよ。安定してたし。128MBで128000円を2枚、当時のバイト代1ヶ月分、ぶっ飛びましたが、お陰で修士論文提出期限には間に合いました。

当時勤めていた会社の倉庫に、途中まで組み上げて放置されたマザーボードが転がっていました。Intel製のマザーボードで確か815だったと思いますが、複数の電解コンデンサーの上に液漏れした後の茶色い物質が付着していたのを覚えています。

インテルがRDRAMを選んだのは、メモリのデファクトスタンダードを奪いたかったの事、Pentium4のアーキテクチャがメモリ帯域が性能の鍵だった事、RDRAMはメモリ容量をの自由度が高かったので、32bitCPUの4GBの限界をある程度引き伸ばすことが可能だったことが考えられるかな?まあ脆くも崩れたんですがwRDRAMが余りにも技術要求が高すぎ、2RIMMでも不安定だったM/Bがいくつかあったと聞いた事あるわ。

RIMMが復活したら面白そう()あとなんでこの世代はメモリスロット3本なんだろう…

まさにこの通りになったRIMM当時は新しいMBとメモリーは出た順にほとんど購入したな~当時はすごい勢いで新技術が出てたので、どんどん購入してPCを作り変えてた。今は3~5年は購入しなくても使う事は可能なので全く買って無いな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました