【養老孟司 × 安部公房】この世界で1番の恐怖について養老先生と安部先生が対談します。
(c) 養老孟司の部屋 養老孟司先生の対談ダイジェストです。 (1987年、養老先生が49歳の時の映像です。) ◇【公式】 解剖学者・養老孟司の公式YouTubeチャンネル …
いや~、解りやすくて面白い!いろんなことを想像しながら見入ってしまいました。貴重な対談の動画配信をありがとうございます(合掌)
今のコロナワクチン接種についても、そうだなぁ
こういう理屈のもとに成りたっている会話は気持ちいい
もう随分と長い間、正統を装って、たびたび覗かせる異端の芽を育ててきた様に思いました。
例外、儀式嫌悪感、異端………こういう人達が世の中、面白くしているのではないか。発明があったり、新発見があったり。こぼれている人、私は好きです。社会からはみ出して、犯罪者になられると困るんですが。
そう言えば、会社で新人類と呼ばれてたのを思い出したわw
安部公房さんも養老先生も若いですね、会話の内容は奥深く(脳)に留めます。近畿の高齢者
1977年にこのテーマで卒論書きました。養老先生や阿部先生のことを存じ上げていたらもっと面白いものが書けていたでしょう。今からでも勉強させていただきます。
「文化」というよりは、「文明」の再構築が必要だと、私は考えています。
良くも悪くもオリンピックの開閉会式で校長先生の話をしっかり聞いていたのは日本人だったような…
異端者を探して叩く…いま正にその時代になりましたよね。やだやだ。
例外は目立つけど、時間とともに例外が常識になったとき、常識がむしろ例外になってしまう。多くは時間が解決するし時間ゆえの転換だけど、それが急展開で起こると何かと問題。それが今の時代で起こってるんじゃねえのかなという気がする。イヤだねぇ・・・
例外行動は時と場合ですよね。儀式を重んじ例外行動を全く認めないと発見が無いので発展はできないでしょうし、何でもかんでも認めてしまうと危険に晒されると思います。その線引きは難しいところではあると思います。そして線引きも時代背景によって変わるのだと思います。個人的に私にとっての恐怖は、変わり者や異端児ではなく、犯罪者気質やパワハラ気質の人格障害・サイコパス、フレネミーです。それは腹の中は人の不幸は蜜の味で、でも表面的には偽善者振り演技をしながら、人を罠に嵌めて陥れようとする悪魔だからです。
例外=自由と思って拝聴していました。毎日何も変わらない通勤電車と帰宅の日々が儀式的な毎日と言う重い生活と写る。僕は毎日の繰り返しの労働であれ昨日と違う我のオリジナルを探したり埋め込むことは可能だと思います。おおざっぱに言えば繰り返し的儀式とも思えるけれど、昨日と同じではないのが当たり前で繰り返しって思ってやる気を無くすのは微妙なセンスを棄てて自分は下等であるに同意した姿と思う。日々僕はここが全体主義に支配された国であっても、生きる昨日と違うを味合うことが可能であり、人と言う性質が例外に価値をあるいはオリジナルを求める本質的性質とは、繰り返ししか出来ない動物と異なる性質を持っている様で、多分それが知能であるけれど、宇宙にとって生き残るという意味を、というかその能力が絶大に地球で優位である事実とは、宇宙秩序が示している解だとしか思えません。
【上級者向けの対談】言葉とは何か? 養老先生と安部先生が対談します。
(c) 養老孟司の部屋 養老孟司先生の対談ダイジェストです。 (1987年、当時49歳の養老先生です。) ◇【公式】 解剖学者・養老孟司の公式YouTubeチャンネル …
不謹慎を承知で言うが養老先生のお言葉は今、ご存命のうちに聴きたいことが沢山ある…
素晴らしい、ピジン・イングリッシュ解説動画、有り難うございます☀️数十年前読んだ・安部さんの[箱男]を思い出しました❗️有り難うございました🎵
言葉は、小林秀雄さんにとっての人生を賭けた永遠の課題(謎)でしたね。氏の格闘を知ると、この対談は知識は広いのでしょうが、ちょっと軽くて浅い感じがします。というか、切り口が違うのでしょうがないかなとも思います。養老さんの本音をお聞きしたかったなとも思いました。ありがとうございます。
作家さんらしい面白い表現だなと感じました。論理が時代を反映している所はあると思いましたが今でも昔でも「言葉は言葉」ですから面白いものです。
とても深いお話でしたが、最近言葉選びの大切さへの気づきがあり、このお話を聞いて、意識的に使う言葉と無意識に使う言葉との境界線的なものを感じました。条件反射的な整理現象の言葉は、時に、潜在意識の中に憎悪や怒り、嫉妬、恐れがある時に強烈な人を破壊させる命令的な言葉になると思います。「精神は言葉であり、言葉は精神である。」たとえカタコトであっても、自分自身と周りの人々を思いやる言葉選びをしていきたい。そのためには、条件反射的な言葉が刃物にならないために、常日頃から自分の心の内側の精神を満たすことも重要だと感じました。
本当に上級者向け、いちいちメモリ勉強までいかない勉強しないと理解不可能
僕は禅問答的に言葉をシンプルに見た。このお話しに僕は思うよ、名詞を取り扱って維持している人間社会と言う考察なのです。訳がわからないでしょう。その現象を報告します。名詞は動詞や副詞と違いフラットであるはずです。名詞は分類的立場でフラットな表現であるでしょう。自分の前にある事実を分類して名詞化する。人類はデジタルではないので主観も含め名詞化する。奴隷が人であるか?ってその言葉のベクトルに割り切れないものを感じる。人とは白人だけであるの?黄色人種は人と思う?黒人は奴隷だが人か?そのような問いの結果として、人の権利を侮辱するっておかしいし下等であると言う結果が現代の価値観にいったっている。それを基本に僕は正しいと思う。幸せという解にそれが道筋だと本気で信じている。安部公房さんと対談するって無駄ならないね。安倍さんと対談する事に意味を養老先生が感じるからこのようになる。この対談は必然的なテーマから逃げるといういい加減と違う先生方の本気に、僕は大切なエッセンスがこもってると思います。簡単に僕の感想をのべるなら我我は虫ではない。知的な生命の役割を大切にするのは、宇宙の秩序に従ってるのだよ。と言いたい
人類が良きものか悪しきものかはわからない。でも、言葉がその人が亡くなった後も生きていて旅をする。それは、本当だと思う。
この対談があったころアメリカの哲学者スーザン ランガー女氏が日本で公演してると記憶しますが、養老先生は彼女とお会いしていたのでしょうか。かなり通じ合うものがあるようなきがするのですが。
この二人の下品な下ネタ話を聴きたいわw😂
本来のシュールレアリスムは現実を超えたところにあるとかんがえられているのよね。その反対は現実的いうことなのかなあ。それとも、その先にあるもの。無意識の領域になるのかな。ピカソの絵(偽物)見ている時、曖昧で分かりにくいけど惹きつけられるから。それかなぁ。無意識の領域とは違うんですよね。無意識の領域に似ているのかな⁇
言語がどうやって発生してきたのか不思議です。人間に言語能力が生得的に備わっていたとしたら、それはただの偶然か、何らかの必然性があったのか、普段何気なく話している言葉、何故話すのか、改めて考えると不思議でなりません。
ピジンクレオールねこの傾向が人口削減に応用されてるんだろうな!
言葉は物の名前
聖書「ヨハネによる福音書」1-1にある、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」とされているように、言葉は猿と人を分ける本質で、本能よりも思考が優先する生き物だと思う。人との関わりを持つためや思考する上で言語は必要だが、言葉も振動であり波である側面と自問自答する際は無音で自分と語っている。小学生が草花や水にありがとうや美味しくなれなど良い言葉と馬鹿とか汚いと悪い言葉を話し続けると、結果が鮮度を保っていたり枯れたり腐ったりと、そうした実験をしていたのを観たことがある。蟻や蜂の集団行動や飼い犬猫鳥と人との関係性などや水晶や翡翠などの固有の振動が人体に及ぼす影響など、根源的にはあらゆる物質が素粒子で出来ていることから、宇宙全体は大きな共同体として存在し、人類は全てから影響を受けたり影響を及ぼしたりと、そうした宇宙全体を見渡せる思考能力を持つのが人類であり、その歴史上の人類全てが思考して叡智を共有して残すことが出来たのは言葉であろう。現代人はとかく学歴偏重で科学万能主義になってしまっていて、顕在意識が優先するあまりに唯物論になりすぎている。三大宗教もそのケがあるようだが、顕在意識と潜在意識、右脳と左脳など偏らないバランスが必要だね。
ピジンという元々の言語がプログラミングされて、後にクレオールになり地域地域で異なる言語になっていったとしたら、最初にプログラミングした存在がいるということになります。ビックバンはどうして起こったのかというのと似ています。 また、言語は様々あって覚えるのは大変ですが、もし、お互いの脳が発信する何らかの波長が直接言語中枢に届いたなら、言葉は要らなくなります。言葉はどんなに正確に伝えようとしても、誤差が生じます。たとえば、ガンガン痛いのか、しくしく痛いのか、刺すように痛いのか、いろいろ表現がありますが、ダイレクトにはなかなか伝わらない。この先、話さずとも分かり合えるような時代が来るのでしょうか。
本能のみで生きていると思われていた動物にも最近言葉があるとわかってきたそうです。例えば森に住む鳥達が、異種間で学校(らしき)ものがあったり、異種間で危険を知らせあったり、助けあいをしているそうです。ただ語彙は少ない。語彙の多さでは、人間の方が断然多い。ただ言葉を使える人間の方が、生き悩む。ただ今は、人間は、音楽やダンスなどでも、感情表現ができるようになって来たと思います。それは進化だと思いたいです。
安部氏は言葉は唯物論的に解釈できるんじゃないかという。養老先生は人間社会は脳の中にある対応物が外に出たものだという。この二つを考え合わせると、脳の言語機能を外に取り出せば言葉を話す機械ができる。おそらく今の人工知能はそこに向かって進んでいるのではなかろうか。それは開かれたプログラムを閉じる神となるのか、はたまたそれは悪魔なのか。養老先生はコンセントを抜けばいいというが言葉を語りだした機械のコンセントを抜けるのか。そのあたりを今の養老先生に聞いてみたいような気がします。
人間が言葉を話すことは当たり前になり過ぎていて大切にされていないような面があるように思います。人間は考える時に言葉で考えますが、インプットする時、アウトプットする時、自分の中で変換する時、それぞれにおいて皆言葉をどう扱っているのだろうと疑問に思うことがあります。例えばダブルスタンダードの人間の話を額面通り受け取っていては災難に巻き込まれますし、ストレートに言葉で伝えれば誹謗中傷や虐めの対象にすらされますから。ニュアンスまで感じ取れないと円滑な人間関係が築きにくい場合があります。少しも自分を傷つけるなと察しろよ、忖度しろよといった人間は甘ったれているのだと思います。幼少期の親の対応も関係しているのではないかと思います。普段放ったらかしにしているのに子供が泣いたり怒ったりすると、それを止める為に理由関係なく手の平を返したように子供の思い通りにしてしまったり、逆に怒ったり無視したりしているのではないでしょうか。
それならば私は ローレンツ派かも しれません
【養老孟司 】住めない? 危険!? 病人だらけの都道府県について養老先生が解説します。
(c) 養老孟司の部屋 養老孟司先生の講演会ダイジェストです。 ◇【公式】 解剖学者・養老孟司の公式YouTubeチャンネル …
いつも配信ありがとうございます✨✨私の人生まだまだ前半。今まさにアレコレ悩んでいる最中であります。寄り道にしては長いような気がして、そろそろ下山をしようかと迷っておりましたが、お話を伺って、そうそう、もう暫く自由に歩いてみても良いのかなぁと思いました🏕✨✨
先生は実は当たり前の事を目を背けてる人に語り掛けてるに過ぎない。つまり人は多数決で嫌だと思う事からいつも逃れたいと思ってる。だから最もな話だと素直に受け入れるのです!
人生 たくさん寄り道したい。私が死んだら後は野となれ山となれ。
死んだら遺骨は海にまいてくれって、心の中でちゃんと墓に入れるよと思ってもも言わなかった、こっちが先かもしれないですからね
自己満足が最高のご褒美そして死も至上の幸福
おはようございます。私は仮退院中ではないですね 弟も家で生まれました。僕はその時家にいましたので知ってます。僕も家で生まれたと聞いてます。祖母も曾祖母も家で死にました。見てました。しかし母も病院で死にました。死ぬ一日前までは家にいました。そのまま家にいたほうがよかったかと思いました。親父は施設で死にました。思い出しました。
人生なんて死ぬまでの暇つぶし好きなだけ寄り道していいんだな
「浮世はほんの一休み」たしか、これ養老先生のお母さんのお言葉。生まれてからお墓に行くまで、ちょっと休憩、というところですか。
今までの常識や価値観では通用しなくなってきた今、物事を0から考えることの大事さがより分かる。この人の話を聞くと、疑問にも思ってなかった常識の洗脳が解けて視野が広がる。
田舎から観ると、都会の人間は本当に病んでると思いますね。こちらが病んでるんじゃないかと、錯覚するほど病んでると思いますね。具体的にって言われると困るんですが。全てですね。全てだから永遠に言い続けなければならないから、言わない。
こんなにズバッと言ってくれる人っていないですね。
病院で生まれて病院で死ぬ。よってみんな病人。そんなふうに考えたことなかった。確かに私は病人なのかもしれない
私が見ていて思ったことは、どこのお宅も遺産相続で大なり小なり揉めていますが、遺言書を残していった場合の方が余計揉めているように思います。
07:00は、生老病死かと
【養老孟司】手入れについて解説します。【養老孟司 特別講演 手入れという思想】 #養老孟司 #切り抜き #講演会
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今日で8キロの梅干しつけ終わりました一年分の梅干しをつけ終わってホッとしています家族の体の手入れに梅干しが欠かせませんつけ終わった時今年も一年分の梅干しが用意できたことに満足感が沸々と湧いてきてこの瞬間が変え難いです色んなとこで手入れが行き届くと心が安定して喜び、尚且つ安全に寄与する様に感じます大事な行動ですねお陰様で夫は今81歳で現役でまだ仕事ができています50年間病欠1日だけですそれも仕事場の検食の食中毒で1日入院しただけです有給も一度も取らず喜んで働き続けることが出来ています当然趣味も並行してます家具作り(材料はほとんど古材か山の木を使います)と野菜作りです
日本に来た外国人が、よく日本人はオシャレだということの意味がわかりました。
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